2011年06月29日

パプアの叫び 11

夕方近くまで、部屋で、休んでいたが、何となく、物足りない。
そこで、出掛けることにした。
暗くならない前に。

朝のスラムとは、逆の道を行くことにする。
そして、人々の衣服を見て、本当に、必要であることを、感じていたので、私は、コータに、着替えのものを、すべて出すようにと、言った。
私も、着替えの衣類を出した。

すべて、渡して行こうと思った。

それは、正解だった。

道々、行く人に声を掛けた。
必要ですか・・・
おーーーセンキューセンキュー

何度も、礼を言われる。
最後に、若者たちに、渡した。
すると、彼らは、私たちに、抱き着いて来た。

傍にいた人たちも、ありがとう、ありがとう、を、繰り返す。
皆と、写真を撮る。
それも、実に楽しい。

次に来る時は、もっと、沢山持ってくるね
私が言うと、歓声が上がる。

闇が降りるまでに、ホテルに戻った。

そして、昨夜買った、パンなどを食べて、夜が終わる。
さっさと、寝る。

翌朝、コータが、散歩に出た。
帰国の日である。
ホテルをpm12:00に出る。

十分に時間がある。
チェックアウトは、am10:0であるが、日本のホテルのように、厳密ではない。適当である。

私たちは、ぎりぎりまで、部屋にいた。

さて、コータが戻って、とんでもない人と、出会ったと言う。
歩いている、向こうから、声を掛けてきた。
日本人・・・と尋ねた。
そうですと、言うと、とても、親しく話し掛けてきた。

そして、私たちの活動のことを、言うと、彼は、何と、陸軍の軍曹であり、更に、次に慰霊に出掛ける予定の、東部ニューギニアのマドナの出身だというのである。

更に、コータに、次ぎは、私が全面的に協力する。
故郷には、妻がいて、学校で、教えている。
子供たちには、衣服、文具も必要なので、是非、支援して欲しい・・・

あーらっ
こんなことに、なるんだ・・・

陸軍が、支援のバックアップをしてくれれば、危険な所も、平気だ。
何と言う、僥倖か。

更に、彼は、連絡先を書いて、自分のすべての情報を、コータに渡したという。

軍の連絡先から、住まいの住所、連絡先・・・・

最後に、このようなことになるのは、大よそ、いつものことである。

そして、更に、である。

空港で、搭乗手続きをしていると、一人の男性が、声を掛けてくれた。
とても、静かに話し掛ける。

日本の方ですね
私のポーチの、日の丸を見たのだ。

そうです
日本のどちらですか
横浜です
彼は、大きく頷き、実は、私は、横浜ジャイカの仕事を手伝っています
へーーー
また、こちらに来ますか
ええ、慰霊と、支援に来ます
と、言うと、彼も、すべての連絡先を書いて、私に差し出し
何かあれば、連絡ください。ご協力します
である。

いつも、どこかで、協力者が、現れるのである。
これは、私の運である。
運だから、理解する何物も、ない。
不思議なだけである。

ジャパニーズ・テンです。
忘れられない、名前になる。
日本人・テンなのである。

あの、一番危険な場所での、支援の際に、人々は、コブシを上げて、
ジャパニーズ・テンを繰り返した。
大統領選にでも、出る勢いである。

パプアニューギニアは、建国35年。
人々は、国民意識が希薄である。
まだまだ、国家幻想を作り上げるには、時間がかかる。

日本は、建国2671年である。

美しい神話があり、更に、それを確定する、天皇が、存在する。
私は、美しい、国旗、日の丸に、守られて、この活動を続けられる。
何と言う、幸せか。



posted by 天山 at 00:00| 旅日記 パプアの叫び | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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