2011年06月21日

パプアの叫び 2

ポートモレスビーに、二泊して、三日目の朝、ラバウルに向かった。

何せ、ガイドブックが無いので、状況が、全く解らない。
ホテルの予約も、ラバウルのホテルではなく、ココポのホテルに予約できたのである。

空港が、ココポ近郊にあり、それでは、ココポに泊まり、その後で、ラバウルへということに。

ニューブリテン島・・・
その東に、ニーュアイルランド島。
一時間と40分の飛行で、到着。

朝の五時過ぎである。
現地のホテルに送迎を頼んでいた。

ココポの街までは、20分程度である。
私たちの、ホテルは、街の中だった。
それが、幸いした。

大半のホテルが、リゾートホテルであり、街中から、離れている。
要するに、現地の人たちの生活から、離れている。

兎に角、安いホテルと、選んだのが、ダウンタウンにあったということ。

ホッとしたのは、ホテルに窓がついていたこと。
道路に面して、人々の動きが、よく解る。

日本の、ビジネスホテルのようである。

部屋に落ち着いたら、兎に角、水が必要なので、ホテル並びの、スーパーに出掛ける。
結果、毎日、そのスーパーに出向くことになる。
毎日の食事を、そこで、買った。

フードコーナーで、弁当のようにして、ごはんの上に、おかずを、掛けてもらう。
それが、五日間である。

ホテルの裏側が、ビーチであり、前が、小高い丘である。

慰霊には、とてもよい、条件である。

ラバウルは、20年ほど前の、火山の噴火により、灰燼と化した。
街は、少しずつ、元に戻っているが、ココポ寄りになっているという。

つまり、ラバウルも、ココポも、同じ街であるという、認識である。

ラバウルには、バスで、二時間あまりかかると、言われた。
私たちは、ラバウルにも、泊まる予定だったが、ホテルが、送迎しないと、言い、バスとは、ミニバスで、とても、それに乗って行く気になれない。

慰霊も、支援も、ココポで、十分に出来たのであり、不便な、ラバウルにまで、出向くことはなかった。

そして、何より、驚いたのは、九州と大きさが、同じ程度の、島であるが、街は、二つだけ。
ココポの近郊に、空港のある、村があるのみで、後は、ジャングルであるという。

戦闘が、行われたのは、西側のジャングルであり、そんな所に、行けるはずもない。
車で、行けるといわれたが、往復して帰るのみ。
更に、どれほどの時間が、かかるか、知れないのである。

私は、ココポのみで、十分だと、結論付けた。

五泊するのは、長い。
だが、ココポの人たちや、ホテルのスタップたちが、実に、親切、親日であり、楽しく過ごせた。

ホテルから、一歩出ると、だれかれなく、挨拶である。
ハロー
モーニング
ハロー
こんにちは
日本語の挨拶も多かった。

学校で、一時期、日本語を習うという。

最初の日は、買い物と、付近の様子を見るだけである。

ここは、ほぼ、同じ部族の人たちが多く、部族間抗争は、無い。

そうそう、ホテルに着いた時に、入れ違いにチェックアウトした、日本人の28歳のO君に、出会った。
15分ほど、話しが出来た。
彼は、一年を掛けて、旅を続けているという。

一度、旅をするために、会社を辞めて、旅に出た。
珍しい存在である。

私たちの、活動に、興味を持ってくれたことが、幸いした。
兎に角、現地の旅行会社を、通して何かをするのは、利用金が高すぎると言った。
すべて、自分で、する方が、安くつくと。

ここに、二週間もいたというから、驚いた。
これから、マニラに行くと言う。
その前は、オーストラリア、ニュージーランドである。

ただ、アボリジニに関して知らなかったことが、残念だった。

お互いに、旅している日本人とは、話さないということで、一致。
しかし、私たちとは、話した。
そこで、九月まで旅を続けて帰国するというので、日本で、会いましょうと言うと、是非逢いたいと、答えた。

一人旅をしているので、機敏であり、察知する能力に長けている。

三人分のコーヒー代も、何気なく、支払い、空港に向かった。
清清しい気分になった。

私たちも、部屋に入ることにした。
エアコンが効いて、気持ちが良い、部屋である。
ベッドも、二つある。

鉄格子で、囲まれていないのが、救い。



posted by 天山 at 00:00| 旅日記 パプアの叫び | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。