2011年05月09日

天皇の島ペリリュー島へ9

この間、私は身じろぎもせず、口をつぐんだまま、ただ茫然とその場に立ちつくしていた。二人の古参兵が背嚢とポケットをまさぐるために引きずり回した日本兵の死体は、大の字のまま投げ出されていた。私は思ったーーー自分もいずれ、敵兵の死体をこれほど無頓着に扱えるほど、感覚が麻痺してしまうのだろうか?あんなに冷然と敵兵の遺品を略奪できるほど、戦争は私からも人間性を奪っていくのだろうか?そのときはわからなかったが、やがて、露ほども気にしなくなる時が私にもやってくる。
スレッジ

米兵だけではない。日本兵も、同じように、そうしたのである。
敵兵の、死体を侮辱する行為を、平然と、行うのである。

そこからわずか数メートル離れた浅い小さな谷間で、友軍の衛生兵が負傷兵の治療をしていた。私は歩み寄って、熱い珊瑚の地面に腰を下ろした。衛生兵は膝立ちで、たった今担架の上で絶命した若い海兵隊員の上にかがみ込んでいた。死んだ兵士の首半分が血染めの包帯に覆われている。品がよくハンサムな、少年のようなその顔は、血の気が失せて青白かった。「これほど哀れで、無駄なことがあってもよいものか。まだ十七歳そこそこだったろうに」―――そう私は思った。少年の母親がこの光景を目にしなかったことを私は神に感謝した。衛生兵は死んだ兵士の顎を左手の指でそっと支えながら、右手で十字を切った。声を押し殺してすすり泣く衛生兵の、埃にまみれて、日焼けし、悲しみに歪んだ頬を涙が伝っていた。
スレッジ

それが、毎日続く。
日本兵も、同じである。

何故、こんな無駄なことが・・・
スレッジの、思いが、胸に迫る。

さらに数人の日本兵がマングローブの茂みから走り出した。ライフルがいっせいに火を噴き、敵兵は海水を撥ね上げ一人残らず倒れた。「そうだ。その調子だ」と軍曹は唸るように言った。
スレッジ

こうした状況の中で、精神を保っているのは、至難の業である。
米兵も、日本兵も、矢張り、狂う兵士が出るのである。

精神に異常をきたした、兵士を、戦友は、気絶させる。
でなければ、敵に気づかれる。

例えば、一瞬、その戦いの間に、正気に戻り、我が身を振り返る。
一体、何をしているのだ・・・
どうして、こんな状況の中にいるのだ・・・

どうして、こんなことになったのか・・・
様々な、疑問が、湧き起こる。
しかし、銃声が鳴ると、その感覚、思いを、停止させて、戦う。
その繰り返しである。

砲弾の甲高い咆哮がいよいよ間近に迫ると、私は歯をぎりぎり言わせて食いしばった。動悸がし、口が渇き、自然と目が細くなる。全身を汗が流れ、呼吸は乱れて短い喘ぎに変わり、息が詰まるのを恐れてつばも飲み込めない。あとは祈ることしかできなかったーーー
ときには声に出して。

集中砲火を浴びたときや、長時間にわたって敵の攻撃にさらされているとき、一発の砲弾が爆発するごとに、心身はいつにも増して大きなダメージを受ける。私にとって、大地は地獄の産物だった。巨大な鋼鉄の塊が金切り声を響かせながら、標的を破壊せんと迫りくるーーーこれ以上に凶暴なものはなく、人間の内に鬱積した邪悪なものの化身と言うしかない。
まさに暴力の極みであり、人間が人間に加える残虐行為の最たるものだった。私は砲弾に激しい憎悪を覚えるようになった。銃弾で殺されるのは、いわば無駄なくあっさりとしている。しかし、砲弾は身体をずたずたに切り裂くだけではなく、正気を失う寸前まで心も痛めつける。砲弾が爆発するたびに、私はぐったりして、力をなくし、消耗せずにはいられなかった。
スレッジ 改行は私。

実は、これは、序章である。
本格的な、戦いは、これから始まるのである。

ペリリュー島の飛行場を突破する攻撃は、私がこの戦争を通じて味わった体験の中でも最悪のものだった。間断なく炸裂する砲弾のすさまじい爆風と衝撃―――その苛烈さは、ペリリュー島と沖縄で直面したどんな恐ろしい体験をも超えていた。
スレッジ

私は、この戦記を読んでいると、心底、スレッジを、抱きしめたくなる。
勿論、彼は、もうこの世にいない。

あはれ あはれ あはれ

そして、日本兵も、同じように、恐怖に震え、更に、それを無視して、攻撃し、攻撃されるのである。

日本軍の夜襲は悪夢だった。
私が受け持つ戦闘区域では、前夜(上陸初日の夜)は飛行場の上空に撃ち上げられた照明弾が敵の潜入を防いでいたが、ほかの戦闘区域では、われわれが今対処を迫られ、その後島を去るまで夜ごとに襲われたあの身の毛もよだつ恐怖を味わっていた。日本軍は夜襲の戦法に長けていたが、ペリリュー島ではその戦法に一段と磨きがかかっていた。
スレッジ

米軍は、南から、西から、東からと、徐々に、戦闘区域を広げていく。

島全体が、戦場と化す。

オズワルドは脳外科医を志していた。その明晰な頭脳が、ちっぽけな金属の塊によって無惨にも破壊されてしまったのだ。こんな無駄があっていいものか。国民の最も優秀な人材を台無しにしてしまうとは。組織的な狂気とも言うべき戦争は、なんと矛盾した企てだろうか。
スレッジ

更に、彼らは、敵兵、日本兵の、遺体を見て、思う。
彼も、理想や希望を抱いていたはずである。
それが、どうして・・・

米兵の中にも、心優しい兵士がいて、撃たれた日本兵を、かわいそうに思うと言う者がいる。しかし、それは、即座に、怒鳴られる。
「馬鹿を言うな・・・やるかやられるかなんだぞ・・・」

もし、戦争がなければ、よい友人になっていたかもしれない。
そして、世界のために、共に、その能力を使うことが出来たかもしれない。

戦争が無い時代に、パラオに来て良かったと、心底、思う。

私は、この戦記と、もう一つ、日本人側のことを書いた、戦記を持参してきていた。
しかし、それは、一度も、開くことがなかった。

開く必要がなかったともいえる。



posted by 天山 at 00:00| 旅日記 天皇の島ペリリュー島へ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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