2011年05月08日

天皇の島ペリリュー島へ8

慰霊を終えて、私は、部屋で休んだ。
やや、興奮ぎみであった。

本当は、これで、明日、コロール島に戻るはずだったが、船が出るのが、あさってであるから、二泊しなければならなくなった。

それは、それで、別に問題なかった。

さて、その夜のことである。
追悼慰霊をして、心霊現象は、今まで一切なかった。
ただ、カンボジアの体験は、一度あったが、それほどのものではなかった。

酒を飲まないので、夜の食事をして、早々に寝る。
八時半頃、もう、ベッドに入って寝た。

深夜、である。
引っ張られた。
それが、毛布なのか・・・体なのか・・・

目覚めた。
時計を見ると、二時四十五分頃である。

朧な意識でいると、シャリンシャリンと、鍵の束を持つような音がする。
こんな時間に、誰か・・・
そして、その音を聞いていた。
その音が、私の部屋の前で、止まった。

はっと思い、起き上がろうとしたが、体が、動かない。
確信した。
霊的現象である。

金縛り状態になる前に、すでに、気づいて、それを避けることが、出来ていたが、今回は違った。

三度目の、気合で、半身を起こし、すぐに、清め祓いのための、祝詞を唱える。
その時、私の部屋の戸の前から、兵士たちが、階段、そして、ホテル前に、120名ほど存在するのを、感じた。

私の部屋は、二階である。
階段の前には、広めの踊り場があり、そこで、タバコを吸うことになっていた。

私は、起き上がり、部屋の戸を開けた。
そして、まず、君が代斉唱を二度した。

更に、日の丸を取り出して、部屋を出て、二階の踊り場の手すりに、日の丸をつけた。
そこで、更に、清め祓いの、所作をした。

心を鎮めて、兵士たちに、語り掛けた。
それは、省略する。

およそ、一時間ほどの時間をかけて、所作を終える。

私の泊まるホテルの並びには、最期の電信を打った、洞窟がある。
千人洞窟といわれる場所である。

さくら散る
それは、玉砕の合図だった。

そこには、コロールに帰る日の朝、出掛けて、黙祷した。

電灯が、少なく、暗い、ペリリューの夜中である。

出来るだけ、音を出さないようにと、所作を行った。

四時近くになって、私は、ベッドに横になった。
そのまま、朝を迎える。

潮騒や 月影さやか 慟哭が 消えて儚き 大和魂

ペリリューの 海に果てたる 将兵の 御霊安かれ 緑燦燦

パラオにて 海の清さに 祓われて 兵士よ帰れ 日の本の国へ

敗戦の 六十七の 年数え あはれなり 潮引く如く 遠のく記憶

さくら散る 最期の報に 祖国愛 捧げて散った 皇の兵士 すめらのへいし

天皇の 島と讃えて あっばれと 敵も認めた その心意気

何よりも 勝たねばならぬ 国のため 父母はらからの 為なればこそ

爆弾を 体に巻きて 体当たり その根性は どこからのもの

その日は、時々、頭痛がした。
そのような、頭痛は、しない私である。

私は、最期の夜、再び、彼らが現れるのかと、心配した。
現れてもいい。しかし、私の追悼慰霊の心、届かないのか・・・
それが、悲しい。

しかし、最後の夜は、何事もなく、朝まで、眠った。
ああ、通じた・・・
と、信じた。

今日もまた 撃たれて死ぬを 泣く人が 世界のどこか 確実にあり

平和主義 一度撃たれて みるがいい 次ぎは鬼とし 化すこと固し

私は、その日、一日、考えた。
この戦争犯罪者は・・・・誰か

A級戦犯は、ドイツのヒトラー、イタリアのムッソリーニー、イギリスのチャーチル、そして、アメリカのルーズーベルトである。

更に、アメリカは、悪魔の国である。
国際法など無視して、一般人を殺し尽すという行為である。

原爆投下は、その50年前から、決定していた。
その、原爆の威力を確認するために、日本に投下したのである。

私のエッセイ、天皇陛下について、を、参照してください。




posted by 天山 at 00:00| 旅日記 天皇の島ペリリュー島へ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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