2011年05月06日

天皇の島ペリリュー島へ6

われわれは海岸へ向けて進発する合図をじりじりしながら待っていた。その時間は永遠に続くかとも思え、張りつめた空気に我慢が限界を超えそうだった。戦場では待機する時間がかなりの割合を占めるものだが、後にも先にも、ペリリュー島への進攻の合図を待っていたあの耐え難い拷問のような時間ほど、極度の苦悶に満ちた緊張と不安を味わったことはない。
艦砲射撃が苛烈になるにつれて、いやが上にも緊迫感が募り、体じゅうから冷や汗が噴き出した。胃がキリキリと痛む。喉が詰まってつばを飲み込むのもままならない。膝から力が抜けそうで、私はアムトラックの舷側に弱々しくしがみついているしかなかった。
吐き気も襲ってきた。今にも胃のなかのものをぶちまけて、自分が臆病者であることをさらけ出してしまうに違いないと、不安がよぎる。
しかしまわりの兵士も、まさに私と同じ心境のようだった。
私はとうとう耐え切れなくなり、あきらめにも似た安堵感と、こみ上げてくる怒りの入り交じった思いで、われわれ上陸第二派の指揮をとる海軍士官の方を見やったそのとき、士官が海岸に向かって旗を振るのが見えた。アムトラックの操縦手がエンジンをふかす。キャタピラーが海水を撥ね上げ、われわれは進撃を開始したーーー上陸部隊の第二派として。
スレッジ 改行は、私。

日本兵の手記には、あまり書かれない、描写である。
日本兵の、若者たちも、きっと、同じような心境を感じていたのではと、思う。

死ぬか、生きるか・・・

殺すか、殺されるか・・・

そんな極限状態を、体験する必要は無い。
しかし、70年前に、それを体験した兵士が数多く存在したのである。

私は身震いし、息が詰まった。
怒りと苛立ちと無念の思いがこみ上げ、激しい嫌悪感に襲われる。それは、仲間が窮地に陥っているのを目にしながら、何一つ手が打てず、みすみすやられてしまうのを見守っているほかないときに、いつも私の心を苛む感情だった。
私は一瞬自分が置かれた窮状を忘れ、吐き気を覚えた。
「なぜ、なぜ、なぜ?」と神に問いかける。顔を背け、目の前に繰り広げられている光景が幻影であってほしいと願った。
これが戦争の酷薄な真実の姿だった。
戦友たちがなすすべもなく殺戮されていく。私の胸に嫌悪感が溢れていった。
スレッジ 改行は私。

米軍の上陸は、日本軍の攻撃に、晒され、乱され、多くの犠牲者を出した。
徹底的に、米軍は、攻撃を受けた。

全員が地面に伏せ、私は浅い窪みに飛び込んだ。中隊は完全に釘付けにされた。いっさい身動きがとれない。砲弾が次々と降ってきて、ついには一つ一つの爆発音が区別できなくなった。間断なくすさまじい爆音が轟き、ときおり砲弾の破片が頭上すれすれで宙を切り裂いていく音が、喧騒のただなかに聞えてくる。煙と塵でかすんで視界が悪い。全身の筋肉がピアノ線のように張り詰めていた。
発作にでも襲われたように、ガタガタと身震いがした。
とめどもなく汗が噴出す。私は祈り、歯を食いしばり、カービン銃の銃床を握りしめて、日本人を呪った。・・・
日本軍は攻撃の手を緩めようとせず、迫撃砲の集中砲火はいつ終わるとも知れなかった。弧を描いてあたり一面に落下してくる大型の砲弾が恐ろしかった。いずれこの窪地も直撃弾を食らうに違いない、と私は思った。
スレッジ 改行は、私。

やれることと言えば、ひたすら耐えて、生き残れるように祈るばかりだ。あの火炎渦巻く嵐のなかでは、立ち上がるのはまさしく自殺行為に等しかった。
スレッジ

いかに、日本軍の、攻撃が激しかったのかが、解る。
そして、21歳の、海兵隊のスレッジの、あまりにも、素直な恐怖の形相である。

そうして、何でも無かったはずの、日本軍と、日本人を、呪うようになってゆく、過程である。

顔も知らない、日本兵と、米兵との、対峙・・・

戦争なんて、遠い時代のこと・・・
私には、そうは、思われないのである。

戦跡を回り、その場所に立つことで、感じるものがある。
そこで、命を失った兵士たちの、思いである。

それは、遠い時代のことではない。
つい先ほどのことだった。

私の、祖父母の時代である。
同時代のことである。

もう少し、スレッジの、戦記を見る。

われわれは低木の密林を進撃し、あちこちにひそむ敵の狙撃兵に対して、一瞬たりとも警戒を怠ることはできなかった。空き地に出て、停止するよう命令が下されたところで、私は初めて敵の死体に遭遇した。―――日本軍の衛生兵一人とライフル兵二人の遺体だった。衛生兵が救護しようとしていたところ、砲弾を受けて戦死したに違いない。衛生兵のわきの救急箱は開いたままで、包帯や薬が丁寧に収納されている。衛生兵は仰向けに倒れ、裂けた腹が口を開けていた。珊瑚の細かい粉が付着してきらきらと輝く内臓に、私は怖気立ち、ショックに打ちのめされた。これが生きた人間だったのだろうかと、私は苦悶した。人間の内臓というより、子供のころに狩猟で仕留めて解体したウサギやリスの臓物のようだった。日本兵の遺体を見つめながら、私は吐き気に襲われた。
スレッジ

こうした、死体に関する、記述も多い戦記である。

戦争は、異常事態である。
実に、残酷なことが、行われる。しかし、それに、拘り、捉われていては、先に進まない。兎に角、敵兵を一人でも、多く殺すことなのである。

そうでなければ、終わらないのである。
終わらせるためには、殺し続けなければならない。
そして、どちらかが、降参か、又は、全員殺すまで、続けられる。

ペリリューでの、救いは、現地の人たちが、日本軍によって、避難させられたことである。
武器も持たない、島民が、巻き添えになる悲劇は、避けられた。

だが、どちらが、勝利しても、気が重い。

戦争を理解すれば、するほど、気が重くなるのである。
大量殺人・・・
それが、難なく許される、戦争というもの。




posted by 天山 at 00:00| 旅日記 天皇の島ペリリュー島へ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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