2011年05月04日

天皇の島ペリリュー島へ4

船の音と、揺れ、そして、振動、薬のせいで、私は、椅子から床に、胡坐をかいて、寝た。
何と、表現していいのか・・・

難民船で、何処か遠くへ、行くような気分である。

そして、気づいて、周囲を見回すと、それはそれは、素晴らしく美しい、パラオの風景である。
小島が、多く、その間を通り抜けて、船が進む。

時計を見ると、二時間半になろうとしていた。
もう、到着だと、思った。
ところが、ペリリュー島を前にして、船が、減速した。

海の下が見える。
浅いのである。
それから、一時間近くもかかった。
三時間半である。二時間半と、案内にあったのに・・・

要するに、ペリリュー島沖は、浅瀬が続くので、船が早く走れない。
減速したまま、ゆっくりと、浅瀬を進む。

日差しが、とても、強い。
船は、テントで覆っているので、直接、日は当らないが、暑い。

私は、ついに立ち上がり、船の上を見学することにした。
カメラを持って。

一番下にいたので、その上の階に上がり、皆さんと、目で挨拶をする。
そして、操縦室のある、一番上に出た。

そこにも、人が座っている。
私が、写真を撮っていると、映しますか・・・と言う、女の子。

彼女の名前は、ウィニー。
パラオで唯一の大学に通う。
夏休みで、帰郷したのだ。

そして、一緒に写真を撮る。
船長さんが、出て来て、撮ってくれる。

私は、ウィニーさんに、島には、タクシーがあるのかと、尋ねた。
無い
えっ、無いの

あらっ・・・どうしよう・・・
実は、私は、慰霊と、衣服支援に来たの、車がなければ、出来ないね
ああ、じゃあ、私が運転して、連れてゆくは・・・
えっ、本当
いいよ
お礼は
ああ、いいです

そんな会話をしているうちに、船が、北の港に到着。

それでしゃ、後でね
私は、そう言って、下に降りた。

船が岸壁に接岸して、迎えの人たちが、それを手伝う。
何とも、皆、手馴れた様子。

私が、荷物を陸に上げると、一人の男の子が、近づいて、
ミスターキムラ
と、声掛ける。
私は、頷いた。
すると、男の子は、私の荷物を運ぼうとする。

ちょっと、待って
と、ウィニーさんを探す。
ここで、逸れては、大変だ。

ウィニーさんは、もう、すでに降りていた。
彼女は、何も荷物が無いのである。

そこで、私は、彼女に、荷物を見せて、これをねー子供たちに、渡したいのー
と、言った。
オッケー
明日の朝、10時でいい・・・
オッケー

私は、その前のホテルに泊まるから・・・
ええ

だが、しかし、驚いた。
男の子が、荷物を運び、ホテルに到着し、ママさんが、出て来て、
ウエルカム・・・ナントカコントカ・・・
部屋に、案内してくれた。
そして、ママさんは、カムカム・・・店は、一件ね・・・
と、私を案内すると言う。

そのまま、階下に下りると、ウィニーさんがいる。
えっ、あんたーーー日本語である
ママさんが、マイ・ドーターと言うのではないか。
ここの、娘さんだったのだ。

男の子は、彼女の弟である。

こんな風に、シナリオが出来ているのである。

そして、彼女は、子供の頃から、島にいるので、島の中は、自由自在に知っている。
更に、子供服の支援も、ママさんの、手配で、小学校の3歳から、5歳の子供たちの、教室に行くことになるのである。

ウィニーさんは、色黒で、エキゾチックな美人である。
島の人口は、200人より、少ない。
誰もが、顔見知りである。

ママさんも、私に、よく色々と、喋って、教えてくれた。
ちなみに、私だけが、単独の客で、ツアー客が、一人、翌日にも、一人来て、もう一人の方は、国際関係の仕事をしている、天下りの人。彼が、そのように言った。

全員、日本人で、四名の客になった。
ホテルは、部屋が、六つしかない。モーテルと呼ぶそうだ。

私は、唯一の店から、すべてを買った。
水と食べ物。
島の街中には、一度も、行かない。




posted by 天山 at 00:00| 旅日記 天皇の島ペリリュー島へ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。