2011年05月03日

天皇の島ペリリュー島へ3

翌朝、私は、八時に約束通り、フロントに支援物資を持参して、下りた。
あの、老婦人を待った。

ところが、15分を過ぎても来ない。
20分過ぎた頃、受付のお姉さんが、私に、今、電話があって・・・・

要するに、簡単に言うと、老婦人は、張り切りすぎて、具合が悪くなった。別の日に、して欲しいとのこと。

それでは、ペリリューから、戻ってからと、私は、お姉さんに言った。

部屋に戻り、ペリリュー行きを準備する。
本当なら、荷物は、半分減っているはずだったのに・・・

あっ、でも、お姉さんが、預かるって言ってた。
ということで、一つの、バッグを、ホテルに置いて行くことにする。

11時に、タクシーを呼んで、パラオベイに行くことになっていた。
それまで、私は、部屋で休む。

そして、10時、部屋に電話がきた。
早口の英語である。
よく解らないが、オッケー、オッケーと、返事をした。
一体、誰なのか。
声は、おばさんであるが・・・

フロントの、お姉さんに、聞きに行く。
すると、学校の先生が、これから、私を迎えに来るという。

あらっ・・・
時間、間に合うか・・・
お姉さんも、それを心配する。

それから、お姉さんの、やり取りが始まった。
ボス、ボスと、呼んでいる。
ボスとは、社長のことである。

結果は、ホテルから、パラオ港まで、車を出すということになった。
タクシーは、いらないということに。
要するに、皆で、私を全面協力するということ。

おばさんの先生が、来た。
小錦のような、体型・・・
その、尻の大きさを見て、自分で、尻を拭けるのかと、考えたほど、大きい。

お姉さんが、私の予定を、知らせてくれる。
二人のやり取り・・・全然、分からない。

そして、オッケーと、私を車に乗せる。
オフィスに行くという。
言われるままに、従う。

ホテルから、実に近い場所だった。
そこに、支援物資を、出して、下さいとのこと。

代表の先生が、感謝の言葉を言う。
ペラペラペラ・・・ペラペラペラ・・・・
私は、頷くだけ。
そして、写真を撮る。

子供たちは、別の場所にいるのである。

名簿にサインをして、先生たちとも、写真を撮る。

すると、小錦おばんさが、また、私を車に乗せる。
今度は、子供たちのいる、校舎である。

そこで、子供たちと、写真を撮る。

3歳から、5歳の子供たちが、汗だくで、遊んでいた。
私は、今日から、皆さんと、私は、友達ですと、英語で言うと、先生たちが、ゥワーと、叫ぶ。

子供たちが、皆、私の元に来て、写真を撮る。

つまり、時間が無いから、そのような配慮をしたようである。

時間を心配したが、ホテルに、戻ったのが、11時、20分ほど前である。
これなら、時間がある。

小錦おばさんに、送られて、ホテルに戻ると、お姉さんが、11時まで、休んでいてくださいと、言う。

言われるままに、部屋で、休んだ。
荷物が、減った。

そして、11時に、ホテルの車で、パラオ港に、向かった。
運転手は、フィリピンからの出稼ぎの、おじさんである。
陽気なおじさんで、色々と、話し掛けてくる。
ほとんど、分からないが、相槌を打つ。

定期船を見て、驚く。
普通の漁船並みである。
前方に、車一台が、積まれていた。

そして、船内には、荷物の山。
お客は、その間にある、長椅子に座るか、床に座るのである。
これなら、難民船だ。

おじさんが、私の荷物を、船に積み込む。
そして、5ドルと、荷物代の、3ドル、合計、8ドルを払う。

おじさんは、戻ったら、電話をくれ、迎えに来ると、言う。
まあ、送迎無料になってしまった。ありがたい。

この辺りから、何か、シナリオが、書かれているかのように、先に進む。

さて、薬を飲んでいて、正解だった。
揺れる揺れる・・・
ポンコツ船のような音・・・

地元の人たちと、肩寄せ合って、椅子に座る。
弁当を広げる、おばさんたちも、いる。

風景は、実に美しい。
その中を、ポンコツ船が、走る。

その、振動が、体に、モロにくるのである。




posted by 天山 at 00:00| 旅日記 天皇の島ペリリュー島へ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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