2011年04月08日

難民8

帰国してから、タイ政府に、変化が起こった。

60年以上に渡る、ミャンマーの少数民族紛争により、四世紀半もの間、タイへの、流入が続く、ミャンマー難民の、問題に、タイ政府は、国内9箇所の、難民キャンプを閉鎖し、ミャンマーへ、帰還させる方針を打ち出した。

軍政から、民政移管という、名目だが、ミャンマーは、何も変わっていない。

何故、少数民族が、タイに逃れるのか・・・
事は、簡単である。

少数民族に対する、差別と、暴力、そして、虐殺である。

タイ政府は、4月11日に、難民キャンプの閉鎖と、難民送還の検討に入ったという。

そして、すでに、ミャンマーのテイン・セイン新政権との間で、難民10万人以上を、帰還させる方向で、協議しているという。

タイ側の難民は、25年以上も、生活しており、我々にとっても、負担になっていると、国家安全保障会議のタウィン事務局長が言う。

また、タイ政府は、帰還を促すために、アンタックや、欧州連合などによる、難民支援打ち切りを、求めているという。

驚いた。

タイ国王が、高齢であり、政治関与しないというのが、残念で、ならない。
実際、国王の、慈愛の御心が、難民を、受け入れるものとなっていたのである。

タイの難民キャンプには、14万5千人が暮らすという。

勿論、ミャンマー難民、移民を入れると、200万人以上の、ミャンマー人が、タイにいる。

数としては、少ないが、問題は、受け入れるという、ミャンマー政府の対応である。

実に、危険である。

その歴史を、俯瞰すると、民族紛争の起源は、ビルマの英国からの独立にさかのぼる。
1948年である。

人口約五千万人のうち、ビルマ族が68パーセント、その他は、シャン族、カレン族、ラカイン族なので、少数民族である。

政権は、少数民族に、ビルマ族と、同じ権利を認めなかったのである。

このために、分離独立を求める、カレン民族同盟が、49年に、武装決起して以来、様々な民族グループが、武装闘争を行った。

そして、これにより、難民が発生し、84年から、難民キャンプに収容されている。

カイン州では、昨年の11月、国軍と、カレン族の武装組織の一部が、衝突し、約一万五千人が、タイへと、避難した。

武力衝突のみならず、軍による、強制労働、移住、女性に対する暴行などの、人権侵害も、難民流出の要因だった。

私は、タイ政府に、御願いする。
彼らを、悪魔の巣に、戻すことなかれ。

実は、タイには、政府の他に、国王直属の、枢密院がある。

その、枢密院に申し出て、何とか、難民を帰還させないようにと、願い出てて欲しい。

今、現在、ミャンマーは、内戦状態であり、それに、多くの国民が、デモを繰り広げ、千人以上の死者を出しても、政権を倒すという、意気があれば、一年以内に、政権は、倒れると、私は、予想する。

だが、誰が、死にたいものか・・・

ビルマ族の人たちが、少数民族を、差別するのではない。
政権が、差別し、彼らを、迫害し、虐殺を行うのである。

そして、その、政権の後ろには、中国共産党が、支援するという・・・

いま、ミャンマーでは、商売をするためには、中国語を身につけなければならないと、言われる。
それほど、中国人が、跋扈している。

人権無視の、中国共産党は、まさに、悪魔である。

中国共産党を打倒し、そして、ミャンマー政権を、打倒する以外に、方法は無い。

だが、武力闘争は、私の願うところではない。

真っ当な、民主的、政権を求める。

何故に、このような事態が、起こるのか。
それは、数名による、既得権益を、守るためである。

そして、言いたくないが、ミャンマー仏教の、政権と、結びつく僧侶たちである。

彼らは、政権に、密告するのが、仕事なのである。

唾棄すべき、僧たち。

それも、高僧といわれる、馬鹿馬鹿しさである。

確かに、ミャンマー難民は、タイの国民の、負担である。
だが、彼ら難民は、遠慮して、生活している。
その、苦難に甘んじて、生活している。

何とか、タイ政府が、国王の御心に、従い、慈悲の心を持って、対処して欲しいと、願う。

私は、タイ国王陛下に、敬意を表するものである。





posted by 天山 at 00:00| 旅日記 難民 メーソート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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