2011年04月04日

難民4

慰霊を終えた後、元来た道を、戻る。
舗装のされていない道路は、とても、揺れる、揺れる。

運転をしてくれている、中野さんの、お孫さんも、体が揺れると、言っていた。

そして、山の中に向かう。
林の道を、クネクネと、走り、暫くして、ようやく、孤児たちの家が、見えてきた。
前回と同じである。

そして、子供たちが、連絡していたので、皆、外に出て、待っていた。

小さな子のグループの、男児、女児、そして、大きな子たち。

サワディーカップ
こんにちは

子供たちは、ミャンマー語であるから、あまり通じない。

小さな子の、男児から、はじめることにした。
昨年よりも、数が多い。

二人の男児は、大人用のTシャツ一枚を着ているだけだった。
それだけ・・・

私は、早速、大きさを合わせて、渡してゆく。
次々と・・・

よかったねーーー
いいねーーー
一人で、喋って渡す。

今回は、女の子たちに、櫛を持ってきた。
それを最初に、渡す。
手に手に、櫛を取る。
静かに、喜ぶ。

丸太で、出来たテーブルの上に、衣服を乗せて、次ぎは、女児たちである。

うわーーー綺麗だね・・・
そう言って、子供たちに、渡してあげる。
よかったねーーー

そして、大きな子供たちである。
中学生くらいか・・・
だが、栄養不足のためか、小さい。

大きな子は、笑顔で、受け取る。
テレは、無い。

コープチャイ
ありがとうと、ビルマ、カレン語である。

シャツ、ズボンを渡す。
大きさを確かめて、オッケーと、尋ねると、オッケーと、応える。

そして、子供たちを、世話している、おばさんたちも、数名いる。
その人たちにも、どうぞ、好きなものをと、指し示す。

先生も、来た。
派手なワンピースを取り出したが、先生が、遠慮する。

私は、一度、車に戻り、支援物資を確認したが、何と、大半無くなっているのだ。
あららら
これなら、次の孤児たちの家には、あまり物が無い。

だが、広倉さんは、次の街中にある、孤児たちの家に行きましょうと、言う。
赤ん坊のものが、少しあるが、どう考えても、足りない・・・

それなである。
今回は、難民の学校にも、向かう予定だった。
これでは、何も、渡す事が出来ない。

それでも、予定変更せず、広倉さんに、従って、向かった。

子供たちと、再会を約束して、また、林の中を戻る。

街中の、孤児たちの家・・・

お昼ね時だった。
前回も、そうだった。
しかし、大きな子供たちは、起きて、私たちを歓迎してくれた。

そして、代表の男性も、再会を喜んでくれた。
私は、残った少しばかりの衣類を持参して、二階の部屋に、上がった。

赤ん坊の寝ている、横に、使い捨ての、オシメを置いた。
代表は、英語が出来る。
英語で、色々と、話をしてくれる。

今回は、あまり、物がありません
いいです、いいです、これだけでも、十分です

私は、失礼かと思いつつ、代表を呼んで、少しばかりの、金額をお渡しした。

次回は、もっと、先に船便で、送っておきたいと、思った。

歓迎の、お水を頂き、すぐに、失礼した。
もう一人の、女性の、代表の方は、留守だったので、よろしくと、伝えて貰った。

もう、支援物資は、何も無い。
広倉さんは、学校の代表の方と、顔だけでも、合わせましょうと言うので、それに従った。

矢張り、街中で、車ですぐの、所にあった。

代表の方にお会いして、次に来る際に、必要な衣類関係を尋ねた。
そして、連絡先などを交換して、数名の先生たちとも、少し歓談した。
皆、ミャンマー難民である。
つまり、生徒も先生も、ミャンマー難民の皆さんなのである。

今回は、予想もしなかった、人の多さだった。
全く、足りなかったのである。

そこで、私は、この辺りが、寒くなる季節、11月頃に、もう一度、来ることを、広倉さんに、約束した。
そして、寒い時期の、衣類を沢山持参する、また、船便で、送ることを、約束した。

兎に角、一日で、すべてを済ます事が出来た。
広倉さんと、中野さんの、お孫さんの、お陰である。

私たちは、ホテル近くに戻り、四人で、遅い、昼食をとることにした。




posted by 天山 at 00:00| 旅日記 難民 メーソート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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