2011年03月09日

スラバヤ 9

コータが、散歩して、市場の裏にある、ヤヤサンを見つけたという。
そこで、それでは、行こうということになった。

そして、出掛けて、良かった。

その、ヤヤサンは、孤児と、親が貧しくて、学校に行けない子供たちを、世話している、ヤヤサンだった。

狭い入り口。
その奥は、長いのである。

二人の男性が、迎えてくれた。
私たちは、バッグを開けて、中を見せ、必要ですかと、問うた。
必要ですと、言う。

それでは、子供たちに、渡したいと言った。

すると、若い男性は、中にいる、代表に報告した。
代表は、女性だった。

私たちは、子供たちのいる、奥の部屋に通された。
そして、手渡しの支援が始まった。

子供たちは、とても、規律正しく、男女に分かれて座り、私たちの、支援物資を、出すのを、待った。

指導者の女性が、子供たちに、何か言う。

私は、自分のものだけではなく、兄弟のものも、持っていってね・・・
と、言った。

最初は、男の子たちからである。
遠慮がちに、服やズボンを手に取る。
そろそろとした、雰囲気は、指導者たちの、教育が厳しいようであると、感じた。

一応、男の子たちが、終わり、女の子の番になった。
女の子たちは、更に、控え目である。
こちらから、手渡すことにした。
遠慮がちに、受け取る。

だが、私が、ぬいぐるみを出した時、子供たちが、活気づいた。
皆々、手を出す。

矢張り、ぬいぐるみは、力がある。

少し混乱したが、すぐに、収まった。

更に、私は、靴を出した。そして、サイズを合わせてと、言った。
更に、兄弟のためにも、いいですよと、言う。
私は、日本語、それを、コータが英語にして、指導者に伝える。

大半を渡し終えて、私たちは、もう一度、玄関の前の部屋に、呼ばれた。
そこで、水をご馳走になり、代表の方や、指導者の方との、話し合いが始まった。

英語の出来る、指導者の女性が、私たちの、目的を尋ねる。
慰霊と、支援活動を紹介する。

それに関しては、何も、問題なく、皆さん、頷いていた。

更に、質問は、イスラムの施設だけを廻っているのかという、質問である。

いや、誰でも、必要な人たちに、渡しています
そうですか。ここの前には、どこに行かれましたか

私は、キリスト教系のヤヤサンに行ったと答えた。
すると、あそこは、大きな組織です。私たちは、地元の人たちの、支援に支えられていますと、言う。

イスラム系のヤヤサンは、矢張り、イスラム系を主にして欲しいと、感じた。
ただ、嫌らしい、気は感じられなかった。

それでは、次の時は、どんな物が、必要ですか
出来れば、絵本が欲しい
解りました。インドネシア語の本ですね
はい

私は、代表が出した名簿に、名前と住所を記入し、更に、テラの会と、書き入れた。
そして、驚いたのは、その施設の、ヤヤサンのカレンダーを頂いたことだ。

私は、この施設は、毎月、どの程度の、資金で、遣り繰りしているのですか、と、問うと、代表が、それは、シークレットだと、答える。

その辺りは、実に慎重である。

そのような、ヤヤサンの施設が、スラバヤには、多いということも、解った。
競合したりするのだろうか・・・

私たちは、兎に角、子供たちに、手渡しで、衣服などを渡すことが、出来たのであり、それで、十分に満足である。

それでは、また、お会いしましょうといって、私たちは、施設をあとにした。

夕暮れ時でも、まだ、暑い。
市場の通りを歩いて、ホテルに向かう。
衣類を差し上げた人たちが、手を振る。

ホテルの前では、夜の屋台の用意が、始まっていた。
私たちの、食事所である。

二つの屋台を、毎晩交互に、訪れる。

安くて、美味しい。
それで、一日が、救われる。

部屋に入ると、エアコンの風が、気持ちよい。
ただし、それが、体のためには、あまり良くないのである。
温度差による、体力の消耗である。

支援物資は、ほとんど、残っていない。
もう、何処に出掛けることも、しないと、私は、決めた。




posted by 天山 at 00:00| 貧しさに負けるスラバヤ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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