2011年03月04日

スラバヤ 4

寒い日本から、やってきた。ゆえに、無理しない。

二日間は、気温に慣れるために、出歩く。
昼間は、30度以上はある。
日差しに当ると、てきめん、汗をかく。

ホテル付近の、買い物をする場所を、見つける。
少し歩いて、デパートそごう、と、他のデパートが、二つになった、大きな建物にある。
その中には、なんでもある。

更に、スーパーだけの店も。
そこが、一番安い。

水。兎に角、水を買う。
ペットボトルを、二人で、一日、四本必要である。
毎日、水を買いに出る。

昼の食事は、地元の食堂や、デパートの屋台街で、食べる。
そして、夜は、ホテルの前に出る、屋台で、食事をする。
その、二つの、屋台は、魚料理と、インドネシア料理、中華的料理も、食べられる。

私は、毎晩、交互に、それぞれの店に出掛けた。
と言っても、ホテルの前である。

夕方から、屋台の用意がはじまる。
皆、家族経営であり、顔見知りになった。

美味しい、安い・・・
私たちには、最高である。

10日間の滞在で、ホテル代と、食事代、車代など、四万円程度で、済んだ。
観光旅行ではないから、当然である。

ホテルでは、ティーと、コーヒーが、飲み放題である。

ただ、スラバヤという、街の全貌が掴めないのである。
中心部は、高いビルがあるが、そこから、放射状に、街が広がり、人々の生活がある。

一番貧しい所は、線路沿いであると、後で、気づく。
だが、少し小路を入ると、貧しい人々の生活の場を、見ることになる。

コータも、私も、一人で、色々な小路に入った。
素顔の、スラバヤである。

そんな小路の中に、孤児院など、ヤヤサンと呼ばれる、インドネシアの国が認めた、組織、団体がある。
日本の、NPOである。

ヤヤサンは、色々な種類がある。
多くは、慈善活動であるが、自然保護などの、団体もある。

ホテル周辺には、数多くの、ヤヤサンがあった。
特に、学校に通えない子供たちに、勉強を教える施設である。

私たちは、その施設に、共に併設された、孤児の家を、訪ねた。
それは、コーターが、見つけたものである。

子供服を多く持参したので、子供たちが、とても、喜んだ。

ただし、そこは、イスラム教徒の運営する、ヤヤサンである。

実は、その前に、ホテルの奥さんから教えられた、ヤヤサン孤児院に、出掛けた。
そこは、キリスト教徒の運営である。

イスラム教徒のヤヤサンでは、私たちが、イスラム教徒たちだけの施設に、支援しているのかと、問われた。
そこが、難しい。

インドネシアは、80パーセント、イスラムである。
イスラムが、正しいのである。

であるから、私たちは、誰にでも、必要な人たちに、差し上げますと、答えた。

更に、日本は、イスラムの人たちと、友人ですと、言った。
言った後で、インドネシアの人たちと、友人であると、言えばよかったと、思った。

彼らは、非常に敏感なのである。
つまり、アメリカなどのマスコミが、イスラムイコールテロリストと、観念を作り上げているからである。

バリ島の、爆弾テロも、イスラムだった。
国内でも、非常に微妙な感覚なのである。

朝の四時頃から、昼前の時間から、三時過ぎから、六時前から、と、日に、四度、イスラムの祈りがあり、それが、スピーカーで流されて、祈りの、合唱になる。

至る所の、モスクから、その声が流れる。
それで、おおよその時間が、解るのである。

しかし、生活の中に根付く、イスラムの信仰なのであり、特別なものではない。

スマトラ島に出掛けた時、イスラム教徒の二人の青年から、テロリストは、マレーシアから出ると、聞かせられた。
しかし、マレーシアの若者は、インドネシアから出ると言う。

私は、共に、貧しい少年たちが、テロリストに育てられると、考えている。

郊外の、ストリートチルドレンなどは、格好の狙い目である。
彼らを選び、教育して、テロリストに育てるのである。

簡単である。
その貧しさが、何ゆえに生まれたのか。そして、その原因であるモノを、破壊するのである。そうすれば、お前たちは、アッラーの国、天国に入り、豊かな暮らしが出来ると、教える。

テロの計画を練るのは、知識人たちである。

そして、彼らの、最大の、目的は、世界を、イスラム帝国にすること。
つまり、世界の支配を、イスラム教徒がするというものである。

イエスや、仏陀が、言わなかったことを、言って、信徒を支配するように、イスラム教も、その指導者が、勝手に、教えと、規則を作る。

さらには、イスラム法を復活させよ・・・と、言う者までいる。

人類が、いかにして、この宗教という、迷いから醒めるのか・・・
それが、21世紀の、進化の要となる。

もし、民族の伝統としての、宗教、あるいは、儀式として、認め合えば、ひとまず、問題は、解決する。
しかし、先は、遠い。

共生するということが、いかに、難しいことか。

他宗教に、寛容にならないことを、強い信仰と、呼ぶのである。




posted by 天山 at 00:00| 貧しさに負けるスラバヤ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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