2011年01月08日

明るい悲惨、ビサヤ諸島 8

シライ市内に入り、交代の運転手を待つ。
ところが、中々、来ない。

私は、車から、出たり入ったりを、繰り返す。
車の中は、冷房ガンガン、で、外に出ると、暑い。

結局、一時間を過ぎて、やって来た。
当初は、ホテルに、一時に、戻る予定だったが、二時になる。

ようやく、走り始めた。
行くべき場所は、空港を越えて、ギンバラオンという、山裾である。

その辺り、一帯を、ギンバラオンと呼ぶが、それぞれの、村には、名前がある。

私は、ある程度のところに、止まり、慰霊を行おうと、思う。

本当は、山裾、ギリギリのところまで、行くべきだった。
しかし、車の時間は、三時間である。
その間に、すべてを、行う。

シライ市から、山に向かって走る。

その道も、日本兵たちが、歩いた道である。

そして、マンダラガン山中での、激戦である。

日本兵は、一万四千人。
犠牲者は、一万人以上である。

勿論、連合軍、フィリピン軍の、死者も、入れると、もっと、多い数になる。

何の関係も無い、他国の人たちと、殺しあう。
それが、戦争の、不合理、悲劇、不可抗力・・・

個人的には、何の、恨みも、憎みも無い。

こんな、無駄なことが、あろか。
それも、若者たちである。

ほんの、一部の、政治家、為政者たちによる、作戦によって、起こされる戦争という、愚かさ。

無理やり、無駄なことを、行わせる。

見ず知らずの、敵兵を、滅多打ち、滅多切りにする。

当時、与謝野晶子は、その弟に、詠う。
君、死にたもうことなかれ・・・
すめらみことは、戦わず・・・なのである。

反戦と、天皇批判である。

最もなことである。

天皇は、すべてを、容認した。
国の最高権力者が、容認した、戦争である、という、意識である。

だが、昭和天皇が、戦争を徹底して、回避したら、暗殺も、あり得た。
そして、天皇無き、日本の戦争は、敗戦により、立ち直ることが、出来なくなったであろう。

とても、悲しいことである。

天皇擁護も、反天皇派も、同じ悩みを持つ。
そして、何故、世界は、人類は、戦争を続けてきたのか。

第二次大戦は、必要不可欠だったと、誰が、言うのか。
それは、アメリカが言うのである。

そして、そのアメリカの、長年の作戦により、日本の軍閥が言う。

戦争も、国益のためなのである。
この世は、地獄である。
平和な日本にて、その地獄という、意味を理解できない人々が、多くなった。

日本は、被爆国である。
世界で、唯一、原爆の被害を、受けた。
さて、それを、どのように、受け入れるのか。

そして、また、日本が、原爆を有していたら、日本は、原爆を使用しなかったのか。
それは、あり得ないという。
日本も、原爆投下を行ったはずである。

勝つためには、何でもする。

戦争体験者は、言う。
日本が、戦争に負けて、良かった。
でなければ、日本は、軍事政権になっていた。

そして、その政権は、国民を途端の苦しみに、陥れたはず、と。

負けて、良かったと、思った、冷静な国民が、日本人であった。

そして、天皇は、世界で唯一、逃げることのない、君主であった。
それが、日本の救いになった。

歴史の評価は、その百年後、二百年後に、なされる。

いや、千年後に、なされることもある。

すめらみことは、戦地に出なかった。
すめらみことは、その責務を、すべて、負った。

退位せず、死ぬまで、その責務を、負った。

朕の不徳のいたすところにより・・・

君主が、自らの、不徳という。
このような、君主は、世界に、唯一である。
私は、それを、誇りに思う。
生き地獄を、生きた、昭和天皇である。




posted by 天山 at 00:00| 明るい悲惨、ビサヤ諸島 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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