2011年01月05日

明るい悲惨、ビサヤ諸島 5

バコロドでの、ホテルは、誰もが知らない人がいないという、古くて、安いホテル。
一泊、750ペソ。1500円。

古いホテルは、部屋が、広いから、いい。
しかし、古いホテルは、矢張り、古いのである。

シャワーを浴びるときは、その都度、フロントに電話する。
でなければ、お湯が出ない。

更に、ねずみの住処。
二日目の、夜に、コータが、気づいた。

大きなゴキブリが出たと、コータが言う。そして、私に、ゴキブリ、潰せるよね、である。そう、私は、ゴキブリを、手で叩く。
今、出てきたから、殺して・・・お前は、女か・・・

しょうがないと、ベッドから、起きて、ゴキブリ退治に、立ち上がる。
だが、見えない。
あっ・・・走った。
そして、隙間を縫って、隣の部屋へ。

そして、寝た。
翌朝、食べ物が、少しずつ食べられていた。
私の、買った、干しイカまで・・・

ねずみ、だ・・・・・・
コータが、叫ぶ。

そうして、隣の部屋の、隙間に、なんと、ソファーを横にして、置いた。
夜中、そのソファーに、どんどんと、体当たりする、ねずみ。

さて、夕方、エィデアさんから、電話が、入る。
そして、お母さんと、代わった。
私が、電話を取る。

日本語である。

話して、これから、一緒に、ご飯を食べましょうということになった。
ロザンナさんは、日本食のレストランに、私たちを、連れてゆくという。
そのようにした。

コータに、日本食だよ、と言うと、高いね、と、答える。
確かに、海外の和食の店は、高い。

母と娘が、ホテルのロビーに、来てくれる。

予定の時間より、10分早く、来た。
曰く、日本の人は、時間を守る。だから、エィデアに、早くしなさいと、いったと、お母さんが言う。

ロザンナさんの出会った日本人は、よほど、良い人たちだったようだ。

タクシーに乗り、和食の店に向かう。
現地の人と、一緒だと、安心する。

タクシーで、42ペソで、到着した。
私は、50ペソを渡して、お釣りは、貰わない。

とても、大きな日本食レストランである。
オーナーが、日本人で、コックは、日本で修行した人たちである。

寿司から、うどん、そば、様々な、一品料理がある。
私は、大枚を覚悟した。

飲み物は、水を注文。そして、それぞれが、食べたい物を、注文する。
私は、旅の間、一切、酒は、飲まなかった。

私は、揚げ豆腐と、値段が高い、地元で有名なラブラブという魚の、煮付けを、頼んだ。
後は、皆に、任せる。

私は、日本語ができる、ロザンナさんと話をして、コータは、英語で、エィデアさんと、話しをする。
初対面とは思えないほど、うち解けた、雰囲気である。
それは、ロザンナさんが、日本人との付き合いを、知っているからだろう。

兎に角、打ち解けて、緊張感がないのが、良かった。
旅の間は、ただでさえ、緊張している。

そこで、二時間ほどを、過ごした。
料金は、1000ペソ程度。2000円である。
そんな高い食事は、しないが、それほど高い料金ではなかった。
ホッとした。

私たちの食事は、現地の人たちと、同じような、食堂で、食べる。
その値段は、150円から、200円程度である。

それに比べて、2000円の食事は、とても、高い。
だが、ロザンナさんは、日本にいた経験から、その程度の、金額は、高くないと感じでいる。

兎も角、打ち解けて、更に、明日、朝の十時に、ホテル出発ということで、約束した。

ホテルに帰る時は、ジプニーに乗る。
一人、7ペソである。14円。

何となく、私たちの、感覚が伝わったのだろうか。
帰りは、タクシーを拾わなかった。

こんな出会いは、実に稀なことである。
明日の、慰霊と、支援は、ロザンナさんが、手伝ってくれるので、余計な心配は、無い。

私は、ホテルに戻り、明日の、慰霊の場所を戦記から、確認する。

ネグロス島から、生還された、元日本兵による、戦記を持参してきた。

バコロドから、タリサイ村を通り、シライ市に出て、シライ川、そして、激戦地となった、山裾まで、行く。

実は、朝、ホテルに着いてから、昼にかけて、バコロドの海岸、更に、バコロドの、カテドラルの前の、無名戦死の碑の前で、慰霊を行っていた。

バコロドは、日本軍の司令部があった、場所である。
しかし、司令部がどこにあったのかを、知らない。ゆえに、海岸に出て、慰霊を行った。

日本軍が辿った、道を、明日、私も、辿り、所々で、慰霊を行うことにした。




posted by 天山 at 00:00| 明るい悲惨、ビサヤ諸島 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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