2011年01月02日

明るい悲惨、ビサヤ諸島

ビサヤ諸島は、フィリピン群島の中央に位置する。
ルソン島と、ミンダナオ島に、はさまれるようにしてある。

幾つかの大きな島と、多数の小さな島で構成されている。
主要な島は、セブ島、ボラカイ島、ボホール島、ネグロス島、パナイ島、サマール島、レイテ島、シキホール島など。

セブシティは、メトロ・マニラ、ミンダナオのダバオに次ぐ、フィリピン第三の都市。

その中で、第二次大戦の、激戦地となったのは、ルソン島北部、レイテ島と、ネグロス島であり、さらに、ビサヤの海も、大戦の場になった。

一時期、日本は、フィリピンを侵略していたのである。
そして、大戦の舞台とも、なった。

日本兵だけではなく、連合軍、フィリピン軍の犠牲者も、多数に上る。
勿論、市民も、犠牲になった。

周囲が、海であること。
それは、人の心を、明るくする。
開放的である。

だが、反面、反省無く、無軌道に生きられる。
フィリピンは、生死が、隣り合わせにある。
殺人が多いのは、開放的な性格が、悪く生かされたときである。

僅かな、お金のためにも、人を殺す。

怒らせると、最後に銃を持ち出す。
遺産相続などでは、簡単に人を殺すのである。

いつ、そのような目に遭うかもしれない。だから、生きている間は、明るく楽しく、である。

開放的なのが、良くも、悪くも、生かされる。

更に、権力も、金も無い者が、殺されても、あまり、気にされないのである。

命が、とても、軽い国である。

ネグロス島から、セブ島に、戻る日が、セブシティの、最大のお祭り、セントニーニョ祭であり、セブシティのホテル、ゲストハウスは、満杯だった。
それも、通常利用金の倍の金額。
予約も、取れない状態だった。

私たちは、それで、マクタン島の、ダイビング専門の人たちが、泊まる、安いホテルにした。ただ、泊まるだけの部屋。

30ドルの、一割引で、泊まった。
目の前が、海である。
ロケーションは、いい。

そこで、海岸に出たときに、見た一つの光景は、男の子が、子猫を、海に投げ込んで、殺すところである。

どうして
私が、付近の、おばさんに、尋ねた。
あの猫は、耳が無いの。それで、殺すのよ
えっーーー

もし、これが、タイならば、逆の対応になっただろうと、思う。
耳の無い、不自由な猫だから、大切にするという。

ということは・・・
障害児が、生まれたら・・・

そこまで、考えて、考えるのを、止めた。

話しが前後するが、セブシティで、二泊して、私たちは、マクタン島の、以前泊まった、古いリゾートホテルに、引越しした。
1200ペソである。

その辺りの、リゾートホテルとは、格段に安い。
だが、私は、部屋の前に、大きな、ベランダがあるのが、気に入っていた。
海は、見えない。
更に、海に出るためには、別の道を行かなければならない。

一泊、一万、二万の、ホテルが、ざらにある。
ツアー客が、利用するのである。

今回は、マクタン島のスラムに、支援することにした。
というのは、最初は、海洋少数民族の人たちに、衣服支援をしようと、予定していた。
ところが、最終的に、彼らの多くは、セブシティの海岸に移動していると、知ったのである。
それも、マクタン島に、向かうタクシーの中で、である。

私たちは、マクタン島から、ボートで、マクタン島から見える、オランゴ島に渡り、バチャオ族の人たちに、支援をすることにしていたのだ。

慌てた。
戻るにも、ユーターンする道が無い。
結果、次回にすることにした。

オランゴ島には、船外機を取り付けたボートであるから、どんな状況になるのかは、想像できたが・・・

そのホテルに、三泊する。
その間に、色々と、見て廻った。

リゾートホテルに続く道ではない、地元の道。
そこは、スラムに続く道である。

コータが、探した、スラムへ、二日目に出掛ける。

特に衣服が必要な、スラムを、見つけたのだ。
そして、おおよその、時間も、指定して、出掛けた。
朝の、十時頃に、行くと伝えていた。

ホテルから、ジプニーに乗る。
一人、7ペソである。14円。

バイクタクシーでも、50ペソかかる。100円。

十字路で、降りて、バッグを持って、スラムに向かう。
その間に、色々と、勧誘される。
タクシーは、勿論、色々な勧誘である。

私は、コータに言った。
帰りは、彼らを、ピタッと、黙らせてみるよ。

その通りになった。
私たちが、支援をして終わり、元の道を戻ると、勧誘の男たちが、やってくる。

私は、彼らの言葉を、手で抑えて
アイム プレイ
イノミネ パトリ エット フェリ エット スピリット アーメン
ゴット ビー ウイズ ユー

すると、男たちは、じっと、その言葉を聞いて、立ち去るのである。

それは、カトリックの司祭が、行う、祝福の言葉、祈りである。

右手の、所作が特別なものなのである。
それは、秘密にして・・・

ところが、最後になり、ある男に、それを行って、ホテルに戻ろうとして、歩いたときに、私は、着物の後ろが、破けて、尻が出ていたのである。

それを見た、勧誘の男たち、十名ほどが、大爆笑である。

子どもと、写真を撮るために、しゃがんだ時に、着物の尻が、汗で、くっ付いて、破れたのである。

私は、ノーパンである。
美しい、尻の肉が、見えたのである。



posted by 天山 at 00:00| 明るい悲惨、ビサヤ諸島 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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