2011年01月01日

神仏は妄想である 311

イエスはキリストではない。
よく「イエス・キリスト」といわれ、それも一般的には、とくに日本ではイエス・キリストよりもキリストのほうが多く用いられている。しかしイエスはキリストではない。
イエス逆説の生涯 笠原芳光

笠原氏は、同志社大学大学院神学研究科修士課程修了である。
聖書を古典として、現代的に解読する。

私も、同じことを、言う。
しかし、私は、兎に角、素人であるから、説得力がない。
しかし、神学研究をした者が、それを言うと、説得力がある。

およそイエスという名は新約聖書の原語であるギリシャ語ではイエースースであり、語意は「神は救いなり」である。ヘブライ語のヨシュアとおなじであり、珍しい名前ではない。
笠原芳光

日本にキリスト教が、伝えられたときは、天主教と呼ばれた。それは、明治時代まで、続く。カトリシズムである。
プロテスタンティズムを、耶蘇教と、呼んだ。

もっとも、イエスはキリスト教の開祖でも、教祖でもない。イエスはキリスト教とかなり異なった宗教思想の創唱者であったからである。
笠原

旧約聖書という言葉は、二世紀に用いられている。だが、本当は、ユダヤ教聖書、ヘブライ語聖書と、称するのが、真っ当である。
四世紀になり、キリスト教団が、それを自らの聖書として、取り入れ、イエス以後を新約、以前を旧約と、名づけた。

キリスト教が、世界的宗教に発展し、以後、旧約聖書と呼ばれるようになる。

だが、これは世界史上最大の著作権侵害というべきであろう。
笠原

イエスの、死後、かつての弟子たちを中心として、グループのような、原始教団が、エルサレム、ガリラヤ、シリアなどの、各地に、いくつも作られた。その中で、当時、待望されていた、メシアに擬せられて、キリストという、称号で、呼ばれた。

イエスをキリストであると信じ、それを文書に表現した最初期の一人はパウロと考えられる。パウロはユダヤ教の大教派パリサイ派の人物であり、ローマの市民権を所有し、ギリシャ的教養に富んでいた。パウロの書いた現存する最初の文書は、紀元50年ごろにギリシャのコリントからマケドニアのテサロニケの教会、といっても初期のキリスト者の集会、に宛てた「テサロニケ人への第一の手紙」であるが、その冒頭に「主イエス・キリスト」と明記されており、文中にもしばしば用いられている。
笠原

同じ頃に、イエスの生き方、教えに、共鳴する、イスラエルの民衆に間に、イエスの教え、言葉を書いた、語録風にまとめた、文書がつくられていたと、仮定されている。それは、福音書よりも、早く、40年から、60年ごろに書かれたもの。
現在は、存在しない。

そして、最初の、福音書は、マルコである。

その、マルコを参照して、マタイと、ルカが、書かれた。

三つの、福音の他に、「Q」と名づけられた、資料が存在する。
ドイツ語の、資料という意味の、略称である。

さて、この、パウロであるが、余計なことを、書いておく。
彼は、イエスを知らない。
彼は、イエスを信奉する人々を、迫害していた人物である。

では、何故、突然、イエスをキリストと、信じたのか。
これが、曲者である。

馬に乗っていた。
突然の、光が差し込めて、イエスが、現れた。
そして、何故、私を迫害するのかと、言う。

イエスを知らないのに、光のイエスが、言った言葉を信じたという・・・
呆れる。
信じるものは、こうして、騙される。

その、霊は、イエスだったのか・・・

そして、その根拠は・・・

無い。
何も無い。

頭の悪い宗教の教祖たちと、同じである。
要するに、霊に、やられる。
霊の、判別が、出来ないのである。

そして、多くの、霊的能力者と呼ばれる人、自称する人は、そうである。

「Q」資料には、生前のイエスに接した人もいると、いわれる。

イエスの死後、およそ20年間はイエスをキリストではなく自由な教師と見る者も多くいたに違いない。
笠原

ともあれイエスに共鳴する人々にとってイエスの死は大きな衝撃であった。その死はユダヤ教とローマ国家に対して自由な生き方を貫いたことによる刑死であったのもかかわらず、民衆、ひいては人類の原罪をあがなうという贖罪の死であるとする説が、パウロやもとのイエスの直弟子によってつくられたのである。さらに当時、ユダヤ教のなかに取り入れられていて、本来は農耕文化の宗教思想であるが、そこでは黙示的思想に由来すると思われる復活という考えがイエスに当てはめられるようになった。
笠原

死後、三日目に、復活したとみなすことにより、信ずる者に、安心と、崇敬の念を与えるものとして、処置された。

そのように、信じたいから、そのようになったと、仮定、いや、信じたのである。

最初に、答えを作り、それを、説得する資料を作るという。
宗教というものは・・・
救われない。



posted by 天山 at 00:00| 神仏は妄想である。第7弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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