2010年12月10日

プノンペンの悲しみ 10

トゥクトゥクに、揺られて、慰霊と、支援を終えて、五時間を費やした、私たちは、疲れきった。

シャワーを浴びて、早々に、ベッドに横になる。

コータは、疲れと、何かを感じて、食欲も無いと言う。
私は、それでは、一人で、出掛けて、食事をしようと、思う。

その時の、筋肉痛が、帰国後に出たから、驚いたが・・・

比較的、まともな、地元のレストンに行くことにした。
全く、文字が分からないので、絵にしてある、メニューから、焼き飯を選ぶ。

夕方の、中途半端な時間である。
道は、車と、バイクで、渋滞している。
外を眺めて、ボーっとする。

来年、また、来なければと、思う。
まだ、カンボジアで、行くところが沢山ある。
アンコールワット近くの、田舎に出掛けたいと思っていた。
更に、タイの国境近くの村々である。

タイ側からも、入国できるのである。

焼き飯は、油が違うのか、香りが、違う。
タイのものとは、少し違った感じがした。

コータは、食中り気味でもあった。
どうも、油がきついと言っていた。
確かに、そのようである。

炭火焼以外は、大半の物は、油を使って料理する。
暑い国ならでは、である。

中華料理や、ベトナム料理もある。
前回は、中華料理も、食べに出た。
今回は、カンボジア料理のみである。

帰り道、コータに頼まれた、バナナを探すが、中々見つからない。
通りにある店でも、見つからない。

中小路を入り、店を一件、一件見て歩く。
そのうちに、迷子になりそうになる。
もう一度、ゲストハウス近くの、路に戻り、もう一度、探す。

気づかなかったが、バナナは、上に釣られて売られていた。
一件の店を、見つけた。
先ほど、通った時は、気づかなかった。

一房を買った。
随分と安い。3500リエルである。
傍にいた、男が英語に直して、教えてくれた。
一ドルもしないのである。

コータは、寝ていた。
相当に疲れたようである。

明日、ゲストハウスを二時に出て、タイに戻る。
昼の二時までいても、追加料金がかからないのである。
そんなところが、曖昧で、いい。

私は、何度か、一階ロビーに、水を取りに出た。
大半が、私たちで、飲んでいるようである。

一日、3リットルは、飲むのであるから、二人で、6リットルである。
いや、それ以上に飲んでいるかもしれない。

いつからか、知らずに熱中症にならないようにと、無意識で、気をつけるようになっていた。一度、日本に帰国して、微熱があり、調子が悪いので、病院に行くと、熱中症と、言われて、点滴を受けたところがある。
全く、自覚が無かった。
微熱、風邪という、意識である。

コータは、どこにも、出掛けなかった。
いつもは、夜になると、外出して、色々と、見て廻るのだが、今回は、止めたようである。

私も、早々に、ベッドに就いた。

朝は、早く目覚める。
現地時間で、六時、日本時間では、八時である。
タイと同じく、二時間の差がある。

私は、早速、帰り支度を始めた。といっても、すべての、支援物資を差し上げたので、バッグ類を、一つの、バッグに詰めるだけである。
ビニール袋の使えるものは、持ち帰る。

空港までは、昨日の、トゥクトゥクに乗ることにしていた。
五ドルである。
車なら、10ドル。半額である。

丸四年も、東南アジアを旅して、次第に、旅慣れた。
それぞれの国の、状態を知る。
そして、料金の目安なども、知る。騙されない。

今回は、50ドルを、リエルに両替したが、余った。
現地の人と、同じように、すれば、お金はかからない。勿論、観光旅行ではないから、それでいいのだが。

今回も、観光は、一切無かった。そして、これからも、無いだろう。

帰国して、写真を見ると、現地の様子ばかりである。
どのように暮らしをしているのか、である。

最も、貧しい村の付近は、皆、貧しいようで、その家なども、写していたが、改めて見ると、愕然とする。

だが、人は、生きている。
日本が、いかに、恵まれた国か、よくよく、解るのである。



posted by 天山 at 00:00| プノンペン二度目の悲しみ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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