2010年12月05日

プノンペンの悲しみ 5

古都、ウドンに行くには、車を使用しなければ、ならない。
ホテルのフロントで、料金を尋ねてみる。
50ドルから、55ドルである。

私には、高い。
それでは、トゥクトゥク、バイクタクシーでは、30ドルだと、言われた。

私は、昨日の、トゥクトゥクのおじさんに、頼むことにした。
コータは、心配した。
一時間半、あの震動に耐えられるか・・・

うーん
何とも言えない。
それに、車より、時間がかかるだろう、とのこと。

ウドンは、1618年から、1866年という、250年間、この地に、王都が置かれていた場所である。
それぞれの、王は、王宮、道路、橋、そして、100を超す、寺院を建設した。
現在も、その一部が残っている。

その仏教寺院遺跡のある、山の下に、ポルポトの施設があり、特に、イスラムのチャム族が、弾圧、虐殺された。
その数、一万人以上である。

そこに、行く間に、チャム族の村があり、私は、慰霊の後に、その村で、衣類支援をと、計画していた。

コータは、体調が悪いが、兎に角、トゥクトゥクで、行くことに決めた。

ゲストハウスを、朝十時に出発した。

プノンペン市内は、とても、空気が悪い。
排気ガスまみれで、更に、喧しいほどの、車、バイクの量である。

30分ほどで、市内を抜けると、次第に、空気が、変わってきた。

だが、矢張り、凄い震動である。
想像以上である。
バイクにつないだ、座席には、バウンドがないから、震動が、体に、まともにくる。
それに、道路は、平坦ではない。
街から、離れれば、離れるほど、悪くなる。

コータは、ずっと、布で口を押さえていた。
私は、辛いには、辛いが、風景を見て、楽しんだ。

ところが、一時間半を過ぎても、着かない。
ああーーー
帰りが、思いやられる。

ようやく、ウドンに着いた頃は、昼を過ぎていた。
つまり、二時間以上かかった。

しかし、バイクが、山の下に向かうと、子供たちが、自転車に乗り、話し掛けてくる。それが、流暢な英語である。
兎に角、親しげに、話しかけてくる、理由が解ったのは、着いたときだ。

遺跡の案内をするというもの。
そして、収入を得る。必要に迫られると、英語も、独学である。
凄い気力を、感じた。

だが、私たちは、兎に角、慰霊碑に向かう。

物売りも、煩いほど、やって来る。
ガイドをします・・・

これでは、先に進まないと、私は、神呼びを、はじめた。
驚いたのは、彼らである。
突然、私が、唸るものだから、皆、サーツと、退いた。

そして、御幣にする、木の枝を取り、神紙をつけて、遺骨の置いてある、慰霊碑に向かった。

太陽が、燦燦と輝く。
太陽に、拍手を打ち、祝詞を唱える。

更に、地場の、産土のカムを、お呼びして、清め祓いを行う。
四方を、祓う。

それは、慰霊である。

この所作は、日本にのみ、ある。
ありがたい。

依り代とする、木の枝に、産土のカムをお呼びして、霊位の、安かれを、願う。
言霊と、音霊、数霊による、清め祓いである。

それは、誰もが、出来ること。
慰霊の思い深くして、手を合わせる。それと、同じである。

遺骨は、まだまだ、あるだろう。
その辺、一帯に、埋まっている。

お送りの、音霊、おとたま、は、渾身の力を込める。

生まれつき、強い霊位を持つ人は、感じない、解らない。
人間が、肉体と、霊的存在と、仮定しての、話である。
少しばかり、感受性が、強いお陰で、私は、少しばかり、霊位のあり様が、解る。

怨念は、極めて激しい。

カンボジアは、立ち上がれないだろうと、思う。
同じことの、繰り返しが、行われる可能性がある。
それは、霊位の状態による。

アンコールワットの遺跡がある。
私は、まだ、見ていないが、その、リレーフの多くは、戦うものだという。

以前は、見たいと、思ったが、今は、見なくてもいい。
クメールの、定めなのか・・・

解らない。
解らないことは、解る必要がない。

解らないことを、解ったというのは、嘘である。

私は、何も、解らないと、思った。

兎に角、私は、慰霊を行った。
それだけ。
それしか、出来ない。

コータに、遺骨の姿が、見えるように、写真を撮ってもらった。

子供たちが、私の真似をして、おー、清めたまえ、祓いたまえと、言っていたと、コータが、教えてくれた。

あの人は、何をしに来たのか・・・
きっと、帰った後で、皆で、噂したであろうと、思う。




posted by 天山 at 00:00| プノンペン二度目の悲しみ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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