2010年12月02日

プノンペンの悲しみ 2

夜の食事は、屋台で、食べることにした。
夕方から、道に、屋台が出る。それが、プノンペン式である。いや、タイでも、そうだ。
勿論、レストラン、食堂もある。

だが、庶民は、皆、屋台で、食べるか、そこで、買って、家で食べている。

一ドルが、4000リアル。
二人で食事をして、4000リアル程度で、済む。
つまり、80円程度である。

ドルは、とても、弱くなっている。
日本円が強い。

私は、以前のお金を持っていたので、50ドル両替して、十分だった。それでも、余っている。

少し、割高の食堂では、一人、7000リアル程度になる。
衛生面では、そちらがいいと、思われる。

屋台の、食器洗いを見ると、食べるのを、戸惑う。
水が少ないので、流し洗いはしない。

洗剤を入れた、桶、そして、二つの、濯ぎの桶である。
その水で、繰り返し洗う。

プノンペンだけではない。
タイでも、ラオスでも、ベトナムでも、そうである。

私たちは、それに、慣れた。つまり、細菌に免疫が出来たのである。
ただし、焼いて、売っているものは、再度、焼きなおしてもらう。
そうしないと、食中りする場合もある。

それを、説明していると、先に進まないので、省略する。

夜は、屋台が盛んで、それらが、終わると、本当の夜になる。
プノンペンも、夜の飲み屋が、盛んになっているので、次は、そちらが、メインになる。

私は、遠慮する。
コータが出掛けて、現地の若者たちと、話しているようだ。

時々、その話の内容を聞いて、私も、参考にしている。

その夜は、二人共に、シャワーを浴びて、床に就いた。

寝て、疲れを取る。
それ以外に、方法が無い。
兎に角、眠ることである。

翌日は、王宮近くの、ニコニコハウスに、昼過ぎの、三時頃に伺うことにした。
先方には、連絡していない。
前回は、子供たちに逢えなかったので、今回は、逢うべく、遅めの時間にしたのだ。
それが、正解だった。

ホテルで、トゥクトゥクの、バイクタクシーを予約して、三時に来て貰う。
運転手は、ベトナム国境近くの町から、出稼ぎで、出て来ている、おじさんである。三人の子持ちだ。

おじさんに、私たちの、活動の主旨を理解して、貰う。
子供たちに、手渡して、また、戻るのである。

今回は、衣服が中心なので、持ち物が多かった。

ニコニコハウスに、近づくと、丁度、子供たちも、やって来たところ。
こんにちはーと、声を掛けると、彼らも、日本語で、こんにちはーと、答える。

日本の団体が主で、国際ボランティアからの、援助でやっているのである。
日本語の、勉強も少し、しているようである。

建物に入ると、世話役の、若者たちがいる。
先生である。
前回出逢った、先生が二人。

その他に、青年二人がいた。
早速、支援品を、机に並べると、子供たちを、小さな順から、並べさせる。

男女に、分けて、並んだ。

そして、まず、男児から、衣服を渡す。
そして、女児である。
女児たちには、タオルや、ハンカチ類もあった。
先生が、手伝い、子供たちに、手渡す。

結構な時間がかかった。

余った、衣類を私が、バッグに戻そうとすると、まだ、子供たちがいるという。
ここには、夕方組と、朝組の、子供たちがいるという。
総勢、68名である。

4歳から、14歳までの、子供たちである。
靴も持参したが、大きな子のものはなかった。

代表の先生に、特に必要なものはと、前回と同じく尋ねた。
すると、文具である。ノートと、鉛筆。
そして、大きめの靴。
大きな子の、衣類である。

中学生程度の、子供たちの衣類が少なかった。

次の支援の、持ち物が、決まった。
更に、前回、出掛けた、孤児たちの家にも、支援するとなると、大変な量が必要である。
今回は、孤児たちの家には、行かないことにしていた。

明日の、慰霊の後に、チャム族という、少数民族の村の人たちに、支援することにしていた。

兎に角、渡し終えて、子供たちと、写真を撮る。
屈託無く、元気な子供たちである。
また、来るねー
元気でねー

さようなら
さようなら、と、返ってくる。

私は、クメール語では、ありがとうの、オークンという、言葉しか知らない。
日本語で、通した。
子供たちには、勿論、通じている。

支援物資は、まだまだ、必要である。

文具類は、先生が、一つにまとめて、それぞれ子供たちに、渡すようだった。
一人の先生が、文具だけで、まとめて、袋に入れていた。

支援品の、ノート類などは、皆、形が違うのである。
平等に、分け与えることは、できない。

トゥクトゥクのおじさんが、私たちの、バッグを、持って、二台に乗せた。
とても、協力的である。

私は、翌日の、車で、一時間半かかるといわれる、ウドンの町にも、おじさんに、頼んだ。
しかし、コータが、心配する。

この、震動に、耐えられるーーー
と、言う。

私は、料金で、選んだ。
車だと、50ドルから、55ドルかかるのである。
トゥクトゥクだと、30ドルである。
それに、おじさんは、とても、協力的だ。

最初は、渋っていたコータも、それに、同意した。
ところが、本当に、大変な道のりになった。




posted by 天山 at 00:00| プノンペン二度目の悲しみ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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