2010年10月17日

天皇陛下について 73

昭和天皇は民族のコモンセンス(常なる心)を保持していた、などといえば、天皇は日本における特権階級の極みである、だから民俗学の創始者である柳田国男だって「常民(コモンピープル)」の概念規定にあってそこから天皇と被差別部落民を除外したではないか、という反論がとびだしてくるような気がする。「常民(コモンピープル)」ではないものに「常なる心(コモンセンス)」があるはずがない、と。
しかしわたしはいま、学問的な概念遊びをしているのではない。精神(エートス)の話をしているのだ。コモンセンスを「常識」と記すにしても、タイのシンゴラ湾に上陸することは国際法違反だという国際法的な常識を、当時の陸海軍の将軍たちのほとんどが保持していなかった。それを、昭和天皇は保持していたのである。
そして、昭和天皇のコモンセンスは、そういった「常識」を超えて、まさしく日本人にとっての「常なる心」として保持されていたような気がするのだ。・・・
松本健一

学問的な概念遊び・・・
多くの議論が、ここに、極められる。
賢い馬鹿たちである。

さて、近衛は、天皇が、はっきりとものを言わない、だから、評論家のようだと、非難したが、違う。
御前会議で、明確に、断固とした、意思を示したのである。
つまり、和平である。

そして、また、他の者たち、内閣、統帥部の軍人たちも、天皇の意思を知りつつ、黙殺したのである。

天皇の、考えも、受け入れて、結局、帝国国策遂行要領を、可決するという・・・

天皇自身は、その会議のまとめ方にも、不満だった。
会議の後で、木戸幸一内大臣を呼んで、統帥部にも、外交交渉に協力するようにと、仰せられている。

御前会議において、天皇の意思が「和平」であると知って、いちばん衝撃をうけたのは、陸相の東条英機であったろうか。会議のあと陸軍省に戻った東条は、興奮していた。かれは軍務局の将校を大臣室に集めると、会議の様子をくわしく伝え、こういった。

聖慮(天皇の御意思)は和平を希求しておられる。こうなった以上、何としても日米交渉を成功させなければならなぬ。
松本健一

ただ、東条英機という軍人は、このように一時の感情に心を動かせはするものの、その本質は「能吏」であった。「能吏」とは所定の目標を出来るだけ効率よく実現に近づけてゆく才である。そして、それができないとわかったら、目標の解釈を変えて、あたかも目標が実現されているかに思わせる小ずるい才である。
松本健一

東条は、この日から、要領を策定した一人、軍務局長の武藤章と共に、連日、大臣室にこもって、話し合いをした。
そして、武藤に近い立場を、自ら移してゆく。

このままの情勢では戦争になる。天子様がこれは仕方がない。やむを得ないと御納得のいくまで外交に力をいれなければならなくなった。

これは、軍部の戦争準備は、どんどん進めるが、天皇が、仕方がない、やむを得ないと御納得いくまで、は、外交に力を入れて、ゆく、という、考え方である。

更に、天皇は、東条に、9月11日、陸軍の「対米戦争準備」の状況について、天皇に上奏したとき、和平を、念押しした。

陛下のお言葉
御前会議の際の発言によって戦争を避けたい。自分の意向は陸相に明らかになったものと諒解する。

東条は、
思し召しを十分体して交渉妥結に極力努力いたします。

だが、統帥部は、東条の揺らぎを、生ぬるいと、開戦派が、戦争準備を具体的に、進めてゆく。

9月9日、天皇は、杉山からの「対南方動員」に関する上奏を受けて、次のように、おおせられた。
報告はわかった。動員しても対米交渉がうまくいったら、動員はやめるだろうね。

杉山は、
仰せの通りにて結構なり。但し交渉がだらだらと遷延し時日が延引すれば、結局冬期で北方の安全な時期を選んで南方の作戦を行うという基本構想は破る次第なり。これは重大なことにて帝国は非常な困難に陥ることになる。従って交渉も適当の時期に見切りをつけ、最後の決心を要するものと考えあり。

最後の決心とは、開戦を意味する。

参謀本部のとくに作戦担当者たちは、9月6日の決定に盛り込まれていた「十月上旬」という「外交交渉」の限度を既定の事実とみなしていた。そして、9月20日の時点では、「11月16日」を開戦日と想定し、10月15日までに外交交渉の決着をつけてほしい、と要求を出している。
松本健一

政府は、東条陸相までふくめて、天皇の「和平」への意思を認識していた。そのため、及川海相も豊田陸相も、9月6日の決定は統帥部のゴリ押しであり、鈴木貞一企画院総裁に「数字の上からも戦争をできぬと言ってほしい」と懇願したのである。
松本健一

和戦の決定をする、話し合いが、10月12日、近衛の荻窪の私邸で、行われた。

集まったのは、東条陸相、及川海相、豊田外相、鈴木企画院総裁である。そして、そのときの近衛文麿の政治家としての決断力のなさが戦争への道を決定的にしたのである。この日のことに関していうなら、天皇に戦争責任はないのである。
松本健一

これらを読んで、いくと、自ずから、見えるものがある。

何度も言うが、歴史の必然性と、偶然性である。
和平を望んでも、戦争へと進む、そのモノは、何か。

歴史を、動かすモノである。
それは、人間の意志とは、別物のようである。

人類はじまって以来の、戦争というものを、回避することは、出来なかった。
偶然を、内的必然と、捉える時、人生力というのが、発揮される。



posted by 天山 at 00:00| 天皇陛下について2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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