2010年10月16日

天皇陛下について 72

昭和天皇は、開戦に至る過程で、首相としての、近衛文麿に、政治的処置について、様々な不満を述べ、具体的な処置を提案していた。

昭和16年9月6日、御前会議にて、十月下旬を目途に、対米英蘭戦争の準備を完成させるという、帝国国策遂行要領が決定された。
これに先立ち、天皇は、前日の5日、その案を近衛から、内奏されている。

その内容は、陸海軍が、対米、及び英蘭開戦への、準備をすすめていることが、明らかである。

強硬に開戦を主張したのは、参謀本部の、田中新一である。
海軍省の岡敬純は、日米交渉が失敗しても、ただちに、開戦すべきではないとの、考えだった。

陸軍省の、武藤章と、軍令部の福留繁は、その中間である。

その中に、
十月上旬に至るも、尚我要求を貫徹し得る目途なき場合に於いては、直に対米開戦を決意す。
と、ある。

この時点で、陸海軍の軍人は、北一輝が昭和7年の時点で予言していたような、日米戦争は必ず対米英露支の世界大戦になる、海で「英米二国の海軍力」と戦い、同時に陸で露支二国との「大陸戦争」を戦うような世界大戦をすれば、結果は「破滅」である、というリアリズムをまったく欠いていたことになる。そして、その政治的リアリズムを昭和16年9月5日の時点でもっていたのは、唯一、昭和天皇であったのだ。
松本健一

天皇陛下は、その内奏を聞いて、次のように言った。
これを見ると、一に戦争準備を記し、ニに外交交渉を掲げている。何だか戦争が主で外交が従であるかの如き感じを受ける。この点について明日の御前会議で統帥部の両総長に質問したいと思うが・・・

この発言に対して、近衛は、
一二の順次は必ずしも軽重を示すものに非ず。政府としては飽くまで外交交渉を行い、交渉がどうしてもまとまらぬ場合に戦争の準備に取り掛かるという趣旨なり
と、答えた。

そして、近衛は、この点に関し、御前会議で質問するのは、どうかと、考えますから、今、陸軍参謀総長と、海軍軍令部総長を呼んでは、如何かといい、天皇は、御下門したのである。

参謀本部の田中新一作戦部長は、業務日誌に記す。
天皇陛下御みずから、両統帥部長を御招致になり、種々御下門になり、その結果につき、統帥部は憂慮す。
陛下の御心配は、二つのように拝された。一つはこの国策要領が、作戦本位、外交従の観ありとせられる点、他は南方作戦の見通しに関する御不安である。
種々御説明のうえ、お叱りを蒙りながら、一応御納得を得た模様、明日の御前会議は、予定どおり開催し得ることとなった。

ここに問題がある。
近衛も、両総長も、陛下の質問に答えて、陛下が、納得したと、思い込んだのである。

陛下は、納得していない。
それは、後に解る。

御前会議の冒頭で、近衛首相が述べる。
米・英・蘭の経済的及び軍事的圧迫は、急迫はできた。独ソ戦の長期化に伴い、米ソの対日連合戦線も、日本の脅威となるおそれがある。日本は国力の弾発力を未だ失はざる間に、諸般の準備を整え、戦禍を未然に防がねばならない。これがため対米外交措置が、一定期間に奏功しない場合は、自衛上最後の手段を取らなければならない。

近衛は、軍部が決定した、要綱にそのまま、従ったのである。

8月8日、アメリカ側に、近衛とルーズベルト大統領との会談を申し入れたが、アメリカ側が、それを取り上げる気配を見せない。

8月14日、ルーズベルトと、チャーチルとの間の、大西洋憲章が発表された。
十月上旬まで、日米交渉が、妥結する見通しは、全くなかったのである。

歴史は、人間が作るものである。
と、共に、歴史は、歴史の意識で、進化し、生成発展するものでもある。それを、偶然と呼ぶ。

近衛の発言の後、永野修身軍令部総長が、対米戦争の決意を強調する形で、要領の説明を行う。
鈴木企画院総裁が、戦争準備の必要性について、言葉を添える。

しかし、これに続いて、原枢密院議長が、
近衛首相が米大統領に会見を申し入れたことに、多大の敬意を表する
と、前置きし、
この案を見るに、外交より戦争が重点がおかるる感あり。政府、統帥部の趣旨を明瞭に承りたい。

この質問に対し、政府を代表して、海軍相の及川古四郎が、答弁する。
しかし、統帥部からの、発言はなかった。

原は、「政府、統帥部」に答弁を要求しているのであるから、これに統帥部がこたえなかったのは、統帥部が「外交より寧ろ戦争に重点」をおいていたからにわかならない。繰り返し言うが、軍人は戦争を仕事としているのだから、これは当然のことだろう。
松本健一

そこで、統帥部から答えがなかったことを、重く見た、天皇は、原が昨日、自分が発した疑問と同じことを言うので、意を強くした。

近衛の手記から、
統帥部からは誰も発言しなかった。
然るに、陛下は突如御発言あらせられ、「ただ今の原枢相の質問はまことにもっともと思ふ。之に対して統帥部が何等答えないのは甚だ遺憾である。」とて御懐中より明治天皇の御製

よもの海みなはらからと思ふ世に
など波風のたちさわぐらむ
を記したる紙片を御取りだしになりて之を御読み上げになり、「朕は常にこの御製を拝誦して、故大帝の平和愛好の御精神を紹述せんと努めて居るものである。」と仰せられた。理路整然、暫くは一言も発する者なし・・・

自らの平和愛好の、御精神を表明した、天皇であらせられる。

この要綱が、決定されようとしたとき、断固として、異議を唱えたのは、昭和天皇である。

しかし、この九月五日から六日の御前会議に至る経過を振り返ってみると、昭和天皇のみが日本の大いなるコモンセンスーーー「常識」という訳語以上に、「常なる心」と訳したいーーーを保持していたように感じられる。統帥部の両総長が「戦争準備」に心を囚われてしまっているのは当然として、近衛首相をはじめとする閣僚はその戦争へと走ってゆくただいまの軍部の“勢い”にのみ込まれてしまっている。このとき、天皇のみがそのただいまの“勢い”を、コモンセンス(常なる心)の立場から押し止めている、といった感じである。
松本健一

さらに、である。
ルーズベルトと、チャーチルの間では、すでに、対日戦が、決定していたのである。

これならば、戦争回避など、出来るわけが無い。

東京裁判を開き、日本の戦争犯罪人を作り上げ、裁いた国、アメリカが、戦争犯罪人だとは・・・
開いた口が、塞がらない。




posted by 天山 at 00:00| 天皇陛下について2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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