2010年10月07日

天皇陛下について 63

昭和30年代後半、日本は、神武景気に沸き、昭和元禄を謳歌した。
つまり、国民に、ようやく、ゆとりが生まれたのである。

そして、宮内庁は、懸案の新御所の建築に向けて、準備を進めた。

当時、昭和天皇の御文庫は、大戦中の、突貫工事で、二重天井の間隙に、雪混じりの、砂を詰めたせいか、湿度が異常に高い。
時期によっては、露が、壁や、コードを伝わり落ちるほどだった。

これでは、お上のご健康がと、側近たちが、憂慮したが、天皇陛下は、その時期にあらずと、断り続けた。
そこで、新築は、見送り、28年に、大改修を加えた。
側近用の、数部屋も、増やした。

宮内庁が、新御所の、建設を決めたのは、昭和34年である。

また、吹上御所と、平行して、新宮殿の造営も、進められた。

これについては、省略する。

それより、昭和天皇の、御心に、思いを馳せる。

敗戦後の、陛下の生活は、実に、質素であった。
それは、国民を、思えばこそ・・・

新しい御所に、移られる時に、陛下の手にあったものは、スリッパである。
すでに、そのスリッパは、減り続けて、半分ほどになっていた。

それでも、まだそれを、使用するという、お言葉に、側近たちも、意見が出来なかったと言う。

この身が、いかになろうとも・・・
それが、敗戦後の、昭和天皇の御心だった。

天皇陛下に、パチンコの玉を発射した者がいた。
正月と、天皇誕生日に、陛下が、国民に姿を見せて、手を振って、答える、一般参賀である。

ニューギニア戦線で、想像を絶する、飢餓と、酷熱のジャングルで、九死に一生を得て帰国した、奥崎謙三である。

戦争の最高責任者であり、超A級戦犯である天皇が、相も変わらず大きな顔で日本国民の象徴として認められ、マスコミがチヤホヤしていることに対して、私は飢えて死んでいった多くの戦友や無数の戦争犠牲者を考え、いつも我慢ならない激しい怒りをもやしていた・・・
奥崎

最もなことである。
彼は、強度の偏執病と、診断されたが、違う。
真っ当である。

私の、父は、少年志願兵として、木更津に出向いた。
そこで、敗戦を、迎えた。

父は、私に、よく、言った。
天皇・・・・そんなもの
どれだけの人が、死んだか・・・殺されたか・・・
皆、天皇陛下のためだと言って、死んで、殺された・・・

あっくたらもの
方言で、あんなもの、という意味である。

最後まで、天皇に対する、敬意を、見せなかった。

当然である、
父の、上の世代が、皆、帰国しなかったのである。
死んだ。
戦争で、死んだ。

あのまま、皆、漁師や、田圃で、働いていた。平和に、貧しいが、幸せに。
誰が、あれを、破ったのか・・・
その、怒りが、父を、天皇存在への、怒りに代えた。

当然である。

私も、多くの戦地に追悼慰霊に、出掛けて、思う。
何故、こんな所まで、来て、死ななければ、いけなかったのか・・・

救いは、母の言葉だった。
天皇だって、利用されたんだ・・・

誰に、利用されたのか・・・
母も、はっきりと、解らない。

生きて帰った者は、皆、そのように、思うだろう・・・
その感情を、止めることは、出来ない。
だから、天皇を、憎むことである。

憎んで、憎んで、憎む・・・
天皇の御心は、それを、十分察知していた。

だから、この身を裂いても・・・
国民を救いたい・・・

君主というものは、何と、憐れで、哀しいものか。
天皇陛下は、何と、憐れで、悲しいものか。
そして、最も、国民の中で、不遇である。

そんな、状況と、心境を、一人の国民として、想像出来ないほどの、お方なのである。

そして、更に、である。
もし、天皇の望む通りに、その身を、八つ裂きにされていたら・・・

国民の目の前で、ギロチンに掛けられ、その首が、飛んだら・・・

憎みは、解消されたただろうか。
決して、解消されない。
益々、憎みは、高まり、皇室全員を、殺しても、まだ、足りないだろう。

それも、昭和天皇は、察知していた。

そして、最も、恐ろしいことは、国内の混乱と、内戦、更に、国が、滅びることである。

そうなれば、天皇は、死んでも、死に切れないばかりか、皇祖皇宗に対し奉り、断腸の思い激しく、進んで、地獄、地下に、霊位は、赴くだろう。

それならば、生きて、天皇という、身分によって、国を、立て直すことである。
最も、辛い、苦しい道を、天皇の御心は、感受した。

歴代天皇は、国民の平和と、豊かさを、祈っていたのである。
それを、そのままに、引き継ぐこと。
それ以外の、方法を、考えては、ならない。

ポツダム宣言受諾の、後で、涙を流す戦争責任者たちに、必ず、私が、日本を、立て直すと、言明した。

この、天皇の決意。

私は、恐れ多いことだが、見事だと、思うし、この国の君主たる、天皇が、このようなお方であることに、誇りを持つ。

奇麗事なら、何でも言える。
天皇の継続は、奇麗事ではなかった。

針の筵に座って生きることだった。

その、御心、あまりにも、貴く、高く、久しく、広く、懐かしいのである。

世界の、為政者で、戦争責任を、その身で、負った者は、いたか・・・
ギロチンに掛けられたり、亡命して、難を逃れる。

日本の天皇にして、君主たる道、示されたのである。

恐れ多くも、この、陛下の御心に、叶う国民の一人でありたいと、願う。



posted by 天山 at 00:00| 天皇陛下について2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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