2010年10月06日

天皇陛下について 62

人類はじまって以来の、大戦・・・
それは、太平洋戦争ではない。

第二次世界大戦であり、大東亜戦争である。

今年、開戦から、70年、敗戦から、66年。いよいよ、戦争に関する、様々な、資料や、考え方が、出てきた。
再度、何故、戦争に突入したのかを、考えてみることにする。

筆の向くまま、気の向くまま、である。
ただ今、色々なものを、読んでいるので、後に、それらを、評価、批判する。

さて、昭和24年4月11日、マッカーサー元帥、罷免の臨時ニュースである。

権威に従順な日本人は、この旧敵国の総司令官に、いつしか尊敬と畏怖とを感じていた。
河原敏明

昭和天皇は、しばし、呆然とする。
そして、三谷侍従長により、詳細を報告される。
改めて、驚きを露にしたという。

六年前の、昭和20年、天皇の命運は、元帥の胸先三寸に、委ねられていた。
その元帥が、大統領電報で、罷免させられたのである。

25年6月に、勃発した、朝鮮動乱で、北朝鮮を後押しする、中国に対して、満州の爆撃と国府軍、台湾軍の、投入を強く主張して、ことごとく、トールマン大統領に反対した。
結果は、罷免である。

トールマンは、ソ連の介入により、第三次大戦に、発展することを、危惧したというが・・・

だが、それにより、マッカーサーは、日本の戦争の意義を、理解し、更に、納得したのである。

日本が、行った行為は、防衛上、必要不可欠だったということだ。

プライドの高い、マッカーサーは、皇居には、一度も、天皇を訪ねなかった。そして、その帰国に際しても、天皇がご訪問されて、その労を労ったのである。

老兵は死なず、ただ消えてゆくのみ
マッカーサーの、最後の言葉である。

日本国民への、メッセージは、なかった。
だが、マッカーサーが、米国議会での、帰国報告で、
日本人の精神年齢は12歳である、と、放言したのである。

熱烈だった、日本人の元帥敬慕も、一瞬にして、醒めたのである。

傲慢不遜・・・
という、イメージが、広がった。

実は、この言葉は、それ以後、欧米人によって、繰り返し語られたのである。

私も、ドイツ人司祭たちから、何度も、それを、聞かされた。
日本人の精神年齢は、少年だ・・・

それが、一体、どんな意味なのかを、理解することが、出来なかった。

つまり、欧米人とは、違うということが、第一なのであろう。
野蛮で、傲慢ではなく、曖昧、たゆたふ心を、持ち、意見を明確にしない。
何となく、場の空気に従う。
自己主張が無い・・・

上げれば、キリが無い。
そこで、精神的に、成長した、欧米化した、日本人は、精神的に、成長したのか・・・

国民意識希薄で、兎に角、日本は、遅れている。日本は、悪い。日本は、駄目だ。日本に希望は、無い・・・
まだまだ、ある。
そして、精神的に成長したのである。
つまり、日本人であることを、否定して、成長した・・・

反吐が、出る。

私は、マッカーサーが、日本に対してしたことの、貢献を挙げることにする。

日本の食糧難を救い、共産革命を抑え、経済を再建し、天皇の存在を認めた。
北海道の占領統治を、強引に要求した、ソ連に対して、それを、抑えた。
特記すべき、功績である。

それが、12歳の精神である、と言う言葉で、かき消されたことは、残念である。

私は、人が何を言うか、より、何を、行ったかを、重視する。
よって、マッカーサーには、感謝する。

マッカーサーの、後任は、リッジウェイ中将である。すぐに、大将となる。

彼は、実に、ヤンキー気質で、開けっぴろげだった。
自ら、天皇を表敬訪問し、気軽に、国民と、付き合った。

彼は、日本を、朝鮮動乱による、目覚しい経済発展と、アジアの安定勢力となる、日本の存在に対する、再認識があったといえる。

そして、九月に、講和条約が、サンフランシスコにて調印され、昭和27年、4月28
日、日本は、七年ぶりに、独立を回復する。

その以後の、日本の復興は、目を見張るばかりである。

ただし、戦争の傷跡は、深く、未だに、残っている。
敗戦から、66年を迎える、今年、平成23年、2011年の、今も、それは、存在する。

すべての、戦争犠牲者の数は、320万人である。
更に、兵士の遺骨は、114万人が、異国の地に眠る。

いや、眠ればいい。
もし、行くべき先を知らず、浮遊しているとしたら・・・
そんな、悲しいことは、無い。

今こそ、戦争犠牲者の追悼慰霊を持って、日本を新たに、創造しなければ、ならない。
日本の伝統は、祖霊、亡き人に対する、鎮魂の法である。
それは、天皇陛下によって、為される。

その、陛下の、御心を、国民が、祈りと共に、支えることである。

あらゆる、考え方を、認めた上で、国民が、心を、一つにし、慰霊の行為を、行うべきである。

国民は、鎮魂の法は、行えないのである。
みたましづめ、という。

皇祖皇宗の、威徳を持って、なされる、行為である。

国民は、追悼慰霊を実行する。
追悼とは、思い起こし、それを追体験する。
そして、慰霊とは、霊位に対して、真摯に対処することである。





posted by 天山 at 00:00| 天皇陛下について2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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