2010年10月03日

天皇陛下について59

ひねくれた考え方ですけれど、華夷秩序における「東夷」というポジションを受け容れたことでかえって列島住民は政治的・文化的なフリーハンドを獲得したというふうには考えられないか。朝鮮は「小中華」として「本家そっくり」にこだわったせいで政治制度についても、国風文化についてもオリジナリティを発揮できなかった。それに対して、日本列島は「王化の光」が届かない辺境であるがゆえに、逆にローカルな事情に合わせて制度文物を加工し、工夫することを許された(かどうかは知りませんけれど、自らに許しました)。
内田 樹

このように、日本を、辺境の地と、捉える考え方から、日本を見詰めるという、作業は、尊敬する。
ただ、それに、いつまでも、拘泥し、さらに、それで、いいではないかという、この方の、論旨には、すべて、賛成できるわけではない。
だが、参考に、見てみる。

この国際社会における微妙な(たぶん無意識的な)「ふまじめさ」。これはもしかすると、辺境の手柄の一つかもしれないと私は思うのです。はるか遠方に「世界の中心」を擬して、その辺境として自らを位置づけることによって、コスモロジカルな心理的安定をまず確保し、その一方で、その劣位を逆手にとって、自己都合で好き勝手なことをやる。この面従腹背に辺境民のメンタリティの際立った特徴があるのではないか。・・・・例えば、この「コスモロジカルな劣位」を逆手にとって、自己利益の追求に専心するという生存戦略は1945年の敗戦のあとに日本人が採択して歴史的成功を収めたものだからです。
内田

それでは、その後に、書いている、
私たちは現にアメリカの「核の傘」の下で軍事的安全を享受しています。政府は核拡散には反対しても、アメリカが核を保持することに反対したことはない。それどころか、近年では日本の自主核武装の必要を論じる政治家や評論家がおり、その支持者たちがいる。そして、たぶん誰も反対しないのは、第二次世界大戦末期にもし日本が原爆を開発していたら、大本営はそれをニューヨークやサンフランシスコのアメリカの非戦闘員の上に落とすことをためらわなかっただろうし、当時の日本国民はそのニュースを歓呼の声で迎えただろうということです。そういう国民が発信する「核廃絶」のメッセージが国際社会に対して指南力を持つことはむずかしいだろうと私は思います。
内田

上記は、とても、おかしい。

日本国憲法は日本人が書いたものではありません。これは護憲派も改憲派も事実関係ではもう争ってはいません。GHQのニューディーラーたちがその当時の憲法学の最先端の知見を総動員して、人権宣言や独立宣言やワイマール憲法やソ連憲法を素材にして起草したものです。間違いなく、理念としては実にすぐれたものです。でも、これは日本人が作ったものではない。日本人がそれまでの歴史的経験を踏まえて、その叡智を集結して、長期にわたる国民的合意形成の努力の果てに、振り絞るようにして世界に宣言したものではありません。敗戦の結果、われわれよりも文明的な上位にある国から「下賜品」として与えられたものです。
内田

「コスモロジカルな劣位」を逆手にとって、自己利益の追求に専心するという生存戦略は1945年の敗戦のあとに日本人が採択して歴史的成功を収めたものだからです。
と、書いている先から、上記のような、実に多弁な、論理的な、意見を書くという、姿勢に、私は、頭だけの、思考作業と、判断する。

文明的な上位にある、国から、下賜されたとは・・・
文明的に、上位にある国とは、アメリカ、その他西欧諸国のことか・・・

中華の、辺境、更に、アメリカ、連合国の文明を上位として、解釈するという・・・

更には、原爆が日本にあれば、当然使用した・・・

それを、前提にして、論理的に、書く、思考するというのは、血の通わない、人間が、頭脳だけで、言葉を、遊ぶものだということを、知らない。

敗戦後の、思想家たちの、基本を踏まえて、辺境論を論じるのだろうが、辺境意識を、いつまでも、持つというような感覚に、私は、この方の、知性の、辺境と、偏狭を、見るのである。

そういう国民が発信する「核廃絶」のメッセージが国際社会に対して指南力を持つことはむずかしいだろうと私は思います。
と、何故、そのように言えるのか。

そういう国民・・・
つまり、原爆を持っていたら、使用したであろう、国民が・・・
ということ。
信じられない、蒙昧である。

もし、歴史が、こうであれば、云々・・・という、お話しに、現実味を感じて書くと言う神経は、ただ事ではない。

原爆は、無かったのであり、使用したくても、出来なかったのである。
現実は、原爆を使用しなかったのである。

それを、前提として、書くことが、出来るならば、何とでも、書ける。

更に、
日本人がそれまでの歴史的経験を踏まえて、その叡智を集結して、長期にわたる国民的合意形成の努力の果てに、振り絞るようにして世界に宣言したものではありません。
この方は、一体、何を言いたいのであろうか・・・

敗戦後の、日本の状態を、何も、把握せずに、いや、その前に、
この「コスモロジカルな劣位」を逆手にとって、自己利益の追求に専心するという生存戦略は1945年の敗戦のあとに日本人が採択して歴史的成功を収めたものだからです。
と、書いているではないか。

劣位・・・
この方の、書いたものは、反日精神であると、判断するしかない、のである。

そして、読者を、騙すのは、辺境人で、いいじゃないか・・・
そうして、これからも、生きてゆこう、である。

自虐史観と、何の変わりも無い。

思想的にも、戦略的にも、何もなく、ずるずると、戦争に突入した。
そういう国が、日本という国である。

生存者の、戦記を読んでいて、そのような、書かれているのを、読む時に、私は、そこに佇むが、この方は、戦争体験もせず、単なる、言葉の寄せ集めを、読んで、更に、遊びとして、このようにして、日本を、堕落させるのである。

それに関しての、具体的な、この方の書いた戦争の分析を、読んでみることにする。



posted by 天山 at 00:00| 天皇陛下について2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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