2010年10月01日

天皇陛下について57

たしかに、いろいろ言い分はあるでしょうし、そのうちのいくつかには説得力もあります。けれども、どういう理屈を立てよとも、「どこかから起こって来たもの」が戦争の主因であるというスキームだけは変わることがありません。「大東亜戦争」を肯定する、ありとあらゆる論拠が示されるにもかかわらず、強靭な思想性と明確な世界戦略に基づいて私たちは主体的に戦争を選択したと主張する人だけがいない。戦争を肯定する誰もが「私たちは戦争以外の選択肢がないところまでに追い詰められた」という受動形態の構文でしか戦争について語らない。思想と戦略があって、それが戦争を領導するのだと考える人がいない。ほんとうにいないのです。どれほど好戦的な核武装論者でさえ、彼らのロジックを支えているのは「被害者意識」なのです。「北朝鮮がミサイルを撃ち込んでくるかもしれない」「中国が東シナ海のガス田を実効支配するかもしれない」そういうことにまで追い詰められたらこちらの軍事的な力がなければ話にならない。そういう被害者の構文でしか「現実主義者」は軍事について語らない。日本をいつ、どうやって、どういう方法で「追い詰める」のかを決定する権利は専一的に「あちら」にある。・・・・「追い詰められない」ための予防的手立てを講ずるということについてはほとんど知的リソースを投じない。まず、「あちら」が先手を打つからゲームが始まる。自分から「打つ手」というものは何も考えていない。現代日本のミリタリストたちもまたその発想においては、まことに「辺境」の伝統に忠実であると言わねばなりません。
日本辺境論 内田 樹

この方の、日本辺境論の、元は、中華主義から、発している。
歴史的に、日本は、中華の辺境地だったという、発想からの、評論である。

実に、面白いが、ここに、隠れた、反日思想がある。

実に、巧妙に、書かれているが、最終的に、辺境人でいいのである、ということになっている。

確かに、中華は、ある時期、世界の中華という、意識で、勿論、今でも、そうであるが、そのような、時期があった。
それは、それで、確かなこと。

そこで、日本人の、発想は、その歴史的事実から、今の今まで、逃れられないという、持論なのか、問いかけなのか・・・

であるから、この方の、戦争に対する、見方を、紹介する。

華夷秩序の物語以外のほとんど唯一の例外的な外交関係として日英同盟があります。この世界最強の海軍国との同盟関係を抜きにしては、日露戦争の勝利はありえませんでした。第一次世界大戦後に「五大国」の一国として国際社会に登場することもありえなかったでしょう。けれども、近代日本の礎石となったこの貴重な同盟関係を日本はその後解消します。解消したことが悪いと言っているのではありません。問題は、このような重要な外交上の決断にどれほどの積極的な理由があったのか、史料を読んでもよくわからないということなのです。
内田

それは、自分の想像力の欠如であるとは、考えない。
あくまで、中華主義の、日本論であるから、見えないのである。

日本の、文は、行間を読むという、伝統があり、今のように、西洋思想の、論理立てなど、発展していない、時代である。
そして、発展しなくても、よい時代が、続いていた。
それも、この方は、肯定している。

この方は、戦後の、思想家、識者たちの、文を、基底にして、論ずるのが、説得力があるので、明確な、ものの見方を、持っていない人は、やられる。

ヴェルサイユ講和条約の日本全権大使は西園寺公望でした。彼は自国権益にかかわること以外、会議でほとんど発言しませんでした。その日本代表の行動は会議参加国の多くを失望させ、それがやがて日英同盟の破綻へと繋がってゆきます。
どうして、日本の代表団はヴェルサイユ条約で自国権益の話しかしなかったのでしょう。たぶん、他国の首脳たちが何を話しているのかがよく理解できなかったからだと私は思います。もちろん、言葉や理路は理解できたのでしょうけれど、どうしてそういうことを言い出すのかそのモチベーションが実感できなかった。華夷秩序の物語世界の住人には「国際新秩序」という概念そのものが、なぜそのようなものが必要なのかが、理解できなかった。私はそうではないかと思います。
内田

明治維新以後、二度の、戦争に勝ち、二度と、戦争を起こしてはいけないと、日本人は、別に思っていなかった。そして、新しい世界新秩序の必要性を、感じていなかった・・・
確かに、その通りであろう。

内田氏がいう、世界の新しい秩序とは、何か・・・
ヨーロッパの人たちは、第一次大戦により、決定的打撃を受けて、戦争を、しないことを、考えた。当然である。

だから、もう、戦争をしなくてもよい、新秩序を、考えるという時に、日本は、何も、発言しなかったと、言う。

これは、事後予言である。

国際社会のために自分たちは何ができるのか、という問いを、自らに、向けた政治指導者は、日本には、いませんでした。と、この方は言う。

歴史の格差の、問題である。

そして、今も、いないことになる。

辺境人である、日本人は、国際社会のことを、考える、素地が無い。
更に、考える必要は無い・・・
とも、考えているようである。

この辺り、この本が、売れた理由であろうか。

勿論、本人も、これは、多く欠陥があり、批判されるものだと、述べている。
更に、最初に、結論を書いている。

日本文化そのものはめまぐるしく変化するのだけれど、変化する仕方は変化しないということなのです。
内田

そして、丸山眞男を引用して、日本論を、はじめるときの前提として、これに付け加える言葉を、持ちませんと言う。

まさに変化するその変化の仕方というか、変化のパターン自身に何度も繰り返される音型がある、と言いたいのです。つまり日本思想史はいろいろと変わるけれども、にもかかわらず一貫した云々―――というのではなくて、逆にある種の思考・発想のパターンがあるゆえにめまぐるしく変わる、ということです。あるいは、正統的な思想の支配にもかかわらず異端が出てくるのではなく、思想が本格的な「正統」の条件を充たさないからこそ、「異端好み」の傾向が不断に再生産されるというふうにもいえるでしょう。前に出した例でいえばよその世界の変化に対応する変わり身の早さ自体が「伝統」化しているのです。

という、上記が、結論なのである。

それを、能力と、考えると、日本人は、とてつもない、才能に恵まれていると、言える。
変わり身の、早さ自体が、伝統化しているということは、適応できるということであり、変動する世界において、日本人ほど、素早く対応できるということである。

ということは、辺境人としての、日本を、論ずる、この方は、少し矛盾しているのか、私が、頭が悪いせいか、そう思うのだろうか。

もう少し、続ける。



posted by 天山 at 00:00| 天皇陛下について2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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