2010年10月01日

チェンマイの風

今回の旅の予定は、チェンマイ在住の、小西誠さんに、一任した。
そして、その予定を、見て、唸った。
毎日、予定がある。
今までは、一日活動して、一日、休むというものだった。
途中で、疲れては、続かないと、思ったからだ。

ところが、小西さんの、予定表は、毎日のスケジュールであるから、戸惑った。
しかし、小西さんに、一任すると、言った。

バンコクに、深夜到着し、コータの滞在していた、アパート、マンションに、一泊して、翌日の、昼の便で、チェンマイに向かう。

季節は、雨季である。
チェンマイは、昼間、暑いが、朝夕と、涼しい時期である。

小西さんの迎えを、受けて、チェンマイである。
その、風は、思い出深い。

私は、五年前に、チェンマイに、出掛けた。
その時も、10月である。
国王、在位60周年の年である。

それから、今年で、四回目のコンサートを開催するほど、チェンマイとは、深い縁が出来た。

北部タイに、出掛けるときは、チェンイマに立ち寄った。
だから、チェンマイの町を、見ると、懐かしい。
田舎に戻ったような、心境になる。

空港に、小西さんが、出迎えに来てくれた。

四名で、100キロの、支援物資を持参したから、荷物が、大変な量である。

自分のものを、極力少なくして、支援物資を、大量に、運ぶ。

勿論、帰りは、すべて、無くなる。
行きは、大変だが、帰りは、楽々である。

その夜は、タイ舞踊を見られる、お店で、北部タイ料理を食べるとの、予定である。
小西さんが、前回も、それを、提案してくれたが、私は、お断りして、小西さんと、じっくりと、話したいと、御願いした。

少数民族の人たちの、舞踊と、その、紹介を兼ねての、舞踊であるから、実に、意味深いものだった。
こんなに、多くの民族がいるのだと、再認識できた。

更に、食事は、食べても、食べても、終わらない。
つまり、足りなくなると、何度でも、それを、足して、くれるという食事である。

どの程度食べたのか、分からなくなる。
気づいた時は、腹一杯で、とんでもなく、食べたことに気づく。

今回は、私と、コータと、辻さん、千葉君と、四名である。

小西さんから、言われていた、料金より、安かった。
あれほど、食べて・・・この、値段、である。

食事の時も、舞踊があり、食事が終わると、別棟に場所を移し、民族舞踊を、見る。

あっという間に、三時間を、過ごした。

時間は、夜の、10時、日本時間の、12時である。

ホテルに、戻ると、疲れが、どっと、出た。

明日は、慰霊碑を巡る。
早々に、寝ることにする。

ホテルは、旧市街の中にある、ターペー門の前の、ホテル。
前回と、同じである。
だが、内装をしていて、とても、綺麗な部屋になっていた。

一人、800バーツ、2400円。二人部屋は、1100バーツである。

旅の最中は、酒を、飲まない。
というより、飲みたくない。
それで、眠たくなるので、二重に良い。

夜は、エアコンがいらない。
丁度よい、温度になる。

チェンマイは、北部タイの、最大の都市であり、タイでは、バンコクに次ぐ、第二の都市である。
しかし、そんな雰囲気は、無い。

北部、東北部から、出てきて、働く者も多い。
しかし、貧しい人が多い。
一般紙的な人の、給与は、一ヶ月、15000バーツ前後、45000円である。それも、よい方で、ある。

マッサージ嬢などは、お客の、数の売り上げの、三割を受け取る。
客がいなければ、収入が無い。

地方から出てきて、体を売る、女性たちも多い。
家族に仕送りをするために、我が身を、犠牲にする。

貧しい国は、どこも、同じである。

私たちの、ホテルの周辺も、夜は、騒がしい。
ゴーゴーバーや、飲み屋が、軒を連ねている。

だが、その音は、遠くに聞こえる。
チェンマイの夜風は、心地よい。

久しぶりの、チェンマイの夜を、眠る。
旅の、目的は、明日から、はじまる。
流れに任せるだけである。
ああ、チェンマイの夜は更けて・・・



posted by 天山 at 00:00| チェンマイの風 平成22年10月 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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