白人主義と、キリスト教の、最悪の姿を見た。
そして、19世紀末、その植民地争奪戦に乗り込んできたのが、アメリカである。
その前に、アメリカは、先住民族である、インディアンを、民族浄化と称して、虐殺による、蛮行によって、樹立された国であることを、覚えておくべし。
西部開発という名の、侵略を完了させて、北アメリカ大陸での、膨張にメドがつくと、海を渡り、侵略行為を開始する。
最初は、ハワイである。
19世紀、ハワイには、宣教師を中心とする、アメリカ人が入っている。
宣教師であるから、布教である。
が、しかし、宣教師と、その息子たちは、ハワイの政界に進出する。
更に、要職を務めるようになる。
そして、ハワイ王国の軍隊とは、別に、最新鋭の銃器を装備した、私的軍隊、ホノルルライフル部隊を、編成するという。
1887年に、カメハメハ王朝の、カラカウア国王に、銃を向けたのである。
彼らの要求は、表向きは、近代的憲法の発布である。
だが、実質は、国王の国政への発言を封じ込め、実権を握るためのもの。
彼らが押し付けた憲法は、選挙権は、高額所得者に限る、である。
そして、二重国籍のアメリカ人にも、選挙権を認めるということ。
当時のハワイの人々は、貧しく、高額所得者とは、アメリカ人を指していた。
参政権を現地の人から、奪い、自分たちが、議会の実権を掌握するという、見え透いた行為である。
このように、キリスト教の宣教師、この場合は、プロテスタントであるが、侵略の、さきがけをするというのは、スペイン、ポルトガル以来の、伝統である。
キリスト教というものが、いかに、傲慢な思想を、白人に与えたかが、解るというもの。
カラカウア国王は、その事態を、予想していた。
そこで、実は、日本に助けを求めていたのである。
その六年前、国王は、国賓として、日本を訪れ、明治天皇に拝謁し、日本人の、ハワイ移住を懇願し、更に、国王の姪で、王位継承者である、カイウラニ王女と、山階宮親王の、婚儀を申し出たのである。
当時、人間だと、認められていたのは、有色人種の中では、唯一、日本人だけだった。
日本の皇室と、姻戚関係を結び、アメリカを牽制するという、考えである。
だが、当時は、国際社会に、出たばかりの日本である。
西欧列強を敵に回して、などということは、出来ないことだった。
明治天皇は、アメリカと事を構えるのは、日本にとって、危険であるとの、考えで、翌年、特使を派遣して、申し出を正式に、断るのである。
その後、国王は、実権を奪われ、失意のうちに、亡くなる。
代わって、即位したのが、国王の妹である、リリウオカラニである。
彼女は、1893年、最後の抵抗を試みる。
島民にも、選挙権を与える、憲法発布である。
それも、アメリカ系市民の、権利を認めた上でのこと。
しかし、駐在アメリカ公使ジョン・スティーブンは、本国に、血に飢え、淫乱な女王が、恐怖の専制王権を、復活させようとしているとの、大嘘を、喧伝する。
そして、アメリカ市民の保護を目的に、ホノルルに寄航させていた、米戦艦ボストンの砲口を、女王のイオラニ宮殿に向け、海兵隊を出動させたのである。
女王は、強制的に、退位させられた。
その後、民主的な共和国の、看板を掲げて、何と、アメリカ人の大統領を誕生させるという、暴挙である。
ドールという、宣教師の息子、サンフォード・ドールが、初代に就任する。
1898年、ドールは、島民の意思を無視し、アメリカに、国土を寄贈し、結果的に、ハワイを、乗っ取ったのである。
これから、アメリカの、植民地政策が、次々と、行われることになる。
ここでも、解るように、キリスト教の宣教師というもの、いかに、狡賢い者たちかという、ことである。
それは、カトリック、プロテスタントに、関わらない。
十字架を掲げて、人種差別を増長させて、更には、虐殺にも関わり、白人主義を、全面的に肯定するという。
呆れた、行状である。
であるから、イエスと、キリスト教とは、別物だと、考えるべきである。
今、現在も、そのような、差別意識を、キリスト教は、植え付けている。
この、歴史的事実を、彼らは、謝罪も、反省もしないのである。
宗教というものが、如何に、人間を愚かにし、蒙昧にさせるかという、良い見本である。
そして、キリスト教は、政治と、切っても切り離せないものである。
教団は、政治団体と、同じだと、考えて間違いないのである。
ローマ皇帝は、皇帝の地位を、法王に承認させ、皇帝は、法王を、承認するという、茶番を堂々と行うのである。
法王は、手を汚さずに、異端審判を繰り返して、利益を、皇帝と、山分けするという。
それが、いまだに、続いていると、見てよい。
実際、アメリカという国は、イギリス国王から、ローマ法王へ、譲渡されているのである。
アメリカの、大家は、ローマ法王なのである。