2010年09月04日

あらっネグロス島へ 4

セブシティの、港の傍に、サンペドロ要塞がある。
スペイン統治時代、1738年から、イスラムの海賊などから、防御のために、造られた、要塞である。

マニラの、イントラムロスと並び、最古の要塞である。
その後、アメリカ統治時代は、兵舎として、更に、日本軍による、捕虜収容所として、利用された。

私は、そこで、慰霊の儀を、執り行った。

観光客で、賑わう要塞に入り、人がいなくなったのを、見て、祈りを上げた。
朝の十時過ぎだが、日差しが強く、暑い。
長い、祝詞の間に、汗だくになった。

慰霊の儀を終えて、すぐに、そこを出た。
そして、御幣にした、薔薇の花を、海に流すべく、海岸に歩いた。

その際も、支援物資を、持参していた。

まず、港に出て、花の御幣を、流し、それから、港に近くいる、人たちの元に行き、支援物資を、渡す人を、探した。

目に付いたのが、生まれたての、赤ん坊だった。

私は、その赤ん坊の傍に行き、プレゼントと、言い、幼児の衣類を、差し出した。

すると、人が集まりだした。
私にも、子供がいるという、男たちが、殺到した。

ボーイか、ガールかと、問い、それに、答えて、手渡ししたが、次から次と、人がやってくるので、私は、場所を移動した。

だが、人の波は、更に、大きくなる。

限界を感じて、場所を移すが、それでも、人が増え続ける。
駄目だと、感じた。
とりあえず、一度、支援を止めることにした。

ネクスト、タイム
そう言いつつ、私は、その場を、離れた。

一度、ゲストハウスに、戻るつもりだ。

誰も彼も、やって来て、収集がつかないのである。

彼らは、その場で、何がしかの、仕事を探して、生活する人たちだった。
特定の、仕事は無い。

その、海岸に、後で、船で、到着するとは、考えられなかった。

通りに出て、ジプニーを乗り、一度、ゲストハウスに戻ることにした。

ところが、若い母親とみられる、女性が、追いかけて来た。
私には、娘が一人いるの・・・
御願い・・・服をください・・・

私は、再度、そこで、バッグを開けた。
すると、また、人が集う。
その女性だけに、渡して、また、急ぎ足で、その場を、去った。

すべてを、渡しても、いいが、そうすると、ストリートチルドレンに、渡すものが、なくなる。

通りに出て、ジプニーを待つ。
沢山の、ジプニーが走る。

ジプニーとは、トラックの荷台を、改造して、客を乗せて、街中を走る、ミニバスのようなものである。
7ペソで、乗る事ができる。

だから、行き先ではない、場合は、降りて、また、行き先に向かう、ジプニーに乗る。

私は、出来るだけ、そういう、公共の、乗り物に乗ることにしている。
何故か。
それは、地元の人々の、顔が見えるからだ。

勿論、外国人は、注意が必要だ。
スリに遭いやすい。

財布を入れた、バッグは、肩掛けバッグに、入れて、それを、胸の前に、置く。

海外では、日本にいる時とは、違い、とても、そういうことに、緊張する。

その、緊張が、疲れになる。
そのために、私は、一日おきの、予定を立てる。

暑い国での、緊張は、とても、体に負担である。
一日、何事かをすると、一日は、休む。
観光旅行だと、そんなことは、考えない。

地元の人と接するというのは、そういう、ストレスも、受けるということだ。

悲しいことだが、ストリートチルドレンにも、注意が、必要である。
支援をしている間に、私の、胸の前の、バッグの、チャックを、開けようとする、子供もいる。

そういう、子は、それが、当たり前の、行為になっているのだ。
スリ、盗みという、行為が、身についている。

本当に、悲しいことだ。
しかし、それが、現実である。

だが、そんな子は、本当に少数である。
味方であると、私を、認識する子は、絶対に、そんなことは、しない。





posted by 天山 at 00:00| あらっネグロス島へ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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