2010年09月01日

あらっネグロス島へ

今回の、旅の主たる、目的は、フィリピン、ネグロス島における、戦争犠牲者追悼慰霊である。

セブ島直行便にて、セブ島から、その隣の島の、ネグロス島へ出掛ける予定だった。

勿論、衣服支援も、行う。
それは、セブ島、ネグロス島の、両方である。

ところが、とんでもない、間違いを犯した。
ネグロス島の、バコロドという町の近郊、シライ市という場所に、2008年に、日本の円借款によって、空港が建てられた。
私は、その空港から、シライ市にある、シライ川にて、激戦地だった、その山中の皆様の、追悼慰霊を行う予定だった。

飛行機のチケットを買う時に、私は、当然、バコロドに行くものと、納得していた。
ところが、その翌日、コータが、チケットを見ていて、行き先が、ネグロス島の、南の町、トゥマゲッティであることが、分かったのである。

えっ

バコロド行きではないの・・・
じゃあ、バコロドの空港は、閉鎖されているの・・・
船で、行くしかないのか・・・

それも、思い込みであった。
その、チケットを扱う、旅行代理店は、バコロド行きのチケットを、扱っていないだけだったのだ。
それも、知らなかった。

ネグロス、イコール、バコロドと、思い込んでいた。

しようがない、トゥマゲッティに行くことにした。
これも、何かの意味があるのだうろうと、良いほうに、考える。

そして、ネグロス島に行く朝、四時に起きて、空港に行くと、唖然・・・
バコロド行きがあるではないか。
それも、朝の、八時半の便である。

コータ、変更できないか、聞いてきて・・・
だが、24時間前まででなければ、変更は、効かないと、言われた。

ため息 ため息 ため息である。

飛行機に乗り込んで、私は、寝た。
30分ほどで、トゥマゲッティに到着する。
低空飛行になったとき、私は、窓の外を見た。

美しい。島々が、実に、美しいのである。

トゥマゲッティで、三泊することになる。

フィリピン、ビサヤ諸島は、日本軍の、戦の場であった。
セブ島には、最初に上陸している。
ネグロス島では、激戦である。
そして、その、隣のパナイ島にも、基地があった。

フィリピンの島々を舞台に、日本軍は、連合軍と、戦ったのである。

後半、ネグロス島の、戦禍を少しばかり、紹介する。
次回の旅の日記には、じっくりと、深く、その戦いの様を、紹介することにする。

兎に角、とんでもない、間違いを犯して、この旅が、はじまった。
とはいえ、めげている、暇は、無い。

セブ島にても、衣服支援をし、更に、色々な情報を耳にした。
目に入るものは、すべて情報である。
だから、とても、疲れた。

単なる、観光旅行であれば、目にするものを、無私する。しかし、私の旅は、いつものように、様々なことを、見聞して、考える旅である。

テーマー別にして、この旅日記を、書くことにする。

セブ島までは、五時間である。
いつもの、飛行時間より、短い。

薬を飲んで、飛び立つ前に、眠ってしまう。
食事の時間になると、目覚める。
そして、また、眠る。
それが、一番である。

セブ島は、観光地であるが、その場所は、セブシティではない。
セブシティと、橋で結ばれた、マクタン島が、名目上、セブ島といわれる。
観光客は、セブシティに入ることは、あまりない。

その、マクタン島には、最後の一泊だけ、過ごした。
確かに、観光地である。
ある一部だけは。

ところが、驚いた。
別の場所には、スラムが、広がる。
それも、海の上まで、張り出した、長屋のような、家々である。

漁業を営んでいた、少数民族の人たちだと、知る。
更に、彼らが、海上で、物乞いするのを、見た。

セブシティの港に入る、船に、小船で、近づき、乗船する客に、物乞いするのである。
コインを、投げると、全裸の男の子たちが、海に潜り、そのコインを拾う。

そして、それを、海に投げ入れた、客に見せる。
一つの、ショーのようだった。

その貧困の様は、表現できない。
次に、出掛けたときは、その、海に突き出た、長屋のスラムに、支援に行くことにする。

観光地と、隣り合わせのような、全く別な世界を、見た。

何故、魚を捕ることで、生活が出来ないのか。その疑問も、解明したいと、思った。



posted by 天山 at 00:00| あらっネグロス島へ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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