2010年08月11日

天皇陛下について 11

日本の南進政策は、徐々に、具体化され、軍部と、政府は、「帝国国策遂行要領」を作成し、9月6日の、御前会議で、決定すべく、近衛首相が、天皇に、上奏する。

陛下は、それを、見て
これでは、戦争準備が第一で、外交交渉を、第二にしている。戦争が主で、外交が従ということか。
更に、
外交と戦争準備は平行せしめず、外交を先行せしめよ。
仰せられた。

そして、杉山参謀総長を、呼び、南方作戦の、予定を、質す。
三ヶ月から、五ヶ月で、解決するとの答えに、
おまえは、日中事変を、一ヶ月で終結させるといったが、四年以上も、続いているではないか、仰せられた。

すると、シナは、奥地が広いものですから・・・と、答えた。

陛下は、
シナの奥地が広いというなら、太平洋は、なお、広いではないか。
と、仰せられる。

絶対に勝てるのか。
と、陛下が、尋ねる。

絶対とは、申しかねますが・・・
何とか、勝てる公算があります・・・

ああ、わかった
陛下の声が響いた。

四方の海 みなはらからと 思う世に など波風の たちさわぐらむ
明治天皇御製
その日、陛下は、その歌を胸ポケットに入れて、それを、二度、朗詠されたという。

それは、平和希求の心情が、歌われる。

陛下により、戦争回避の空気に包まれたが、日米交渉は、実る事がなかった。

開戦は、目の前に迫った。
近衛首相は、辞職し、東条英機陸相が、首相の座に就いた。

そして、アメリカの、コーデル・ハルからの、親書である。
アメリカの、宣戦布告をいうものである。

宣戦布告と、同じ程度の条文である。

決して、日本が、呑むことの出来ない、和平条件、つまり、宣戦布告と、同じである。

12月1日、御前会議で、最終決定が、下される。

帝国は、米英蘭に対し、開戦す

陛下は、義山参謀総長、永野修身軍令部総長に、
このようになることは、やむをえぬことだ。どうか、陸海軍は、よく協議してやれ、と、おおせられた。

12月8日、開戦の指令を受けて、山本五十六連合艦隊司令官は、
ニイタカヤマノボレ1208
の、電文をハワイ空襲に向かう、南雲忠一機動部隊に送った。

また、杉山も、南方軍司令官内寿一に
ヒノデハヤマガタ
を、発信。
シンガポール、香港攻略を、命じた。

真珠湾攻撃。
日本の駐在大使館員らの、不手際で、奇襲攻撃が、完了したころ、ようやく、ハル国務長官のもとに、届けられたという。
が、真実は・・・

アメリカが、すでに、それを知っていたことと、日本の駐在員らの、怠慢ではない。

日本大使を、足止めしたのは、結婚式に、出席していた、牧師の、長い、説教である。
それは、時間を遅らせるための、作戦、策略である。

兎に角、アメリカは、国民に、日本に対する、戦争への、気分を盛り上げるために、奇襲攻撃があったという、事実を、アメリカ国民に示したかった。
このことについては、後で、じっくりと、書くことにする。

トラ、トラ、トラ
アメリカは、日本軍の、暗号解読に成功して、その後も、つねに、傍受していたのである。

アメリカは、一環して、戦争を続けている国である。
何故か。
すべて、利益のためである。

日本の、開戦の、最大の、テーマは、石油を、断たれたこと。

そして、昭和天皇は、大東亜戦争の遠因として
この原因を尋ねれば、遠く第一次世界大戦後の平和条約の内容に伏在している。日本の主張した人種平等案は列国の容認するところとならず、黄白の差別感は依然残存しカリフォルニア州移民拒否の如きは日本国民を憤慨させるに充分なものである。
と、仰せられた。

平和条約とは、国際連盟の結成を決定したものである。
黄白とは、黄色人種と白色人種である。

第一次大戦が、何故、起こったか・・・という、疑問に答えられる歴史家が、いるだろうか。
誰も、いないし、もし、解っていても、口に出せない。

私は、知る。
それは、ホモセクシャルが、原因である。

性について、という、エッセイに、それを書くので、そちらを、参照。

さて、この、大東亜戦争は、世界に、多くの、教訓を与えた。
それは、追々と書いてゆく。
日本は、戦争によって、世界に貢献したのである。
それ以後、あのような、大規模な戦争は、起こらない。
起こしようが無いのである。




posted by 天山 at 00:00| 天皇陛下について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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