2010年08月09日

天皇陛下について 9

昭和天皇
その心、血の抗争を、忌み嫌われた。
解りやすい言い方をすると、強烈なヒューマニズムであるといえる。

その天皇が、何故、大東亜戦争を、承認したのか。
私自身も、大変、興味があるものだ。

その、昭和天皇は、後年、私は、二度、立憲君主としての、道を踏み間違えたと、仰せられた。

2.26事件と、敗戦の時である。
私は、これから、終戦とは、書かない。
日本は、終戦したのではない。敗戦したのである。

だが、それは、内閣と、軍部の、優柔不断に対する、天皇の、決定要求であったと、いえる。

そして、時代は、軍部の力が、どんどんと、強くなってゆくのである。

軍部の意向に反する、内閣人事をするが、軍部の反対が強烈だった。

何度か、内閣総辞職が、行われ、決定的な、事態になったのは、林銃十郎陸軍大将が、首相にたてられた時である。

彼は、軍国主義を堂々と、鼓舞して、敬神尊皇、祭政一致の精神、を、うたい、当時の、あらゆる分野から、時代錯誤と、批判された。

結果、林内閣は、解散である。

その後、近衛文麿公爵が、登場する。
一旦、軍政に歯止めが、かけられたが、貴族にありがちな、無欲と、ひ弱さを指摘され、次第に、軍部の、強硬路線に、屈するようになる。

昭和12年7月7日の、盧溝橋事件である。
北京郊外の、永定河にかかる、盧溝橋で、突如、中国軍から、実弾が発砲された。

日本軍の、夜間演習が、行われた際に、その、空砲の音に、呼応するかのように、射撃があった。
実は、これには、裏がある。それは、後に書くことにする。

被害は無いが、事実上の攻撃である。
夜の演習は、白日の攻撃に変えられた。

日本軍の攻撃にあい、中国軍は、撤退し、北支駐屯軍は、城内に侵入した。
満州事変の、関東軍に、継ぐ、陸軍の独断専行である。

事件の報を聞いた、陛下は、ソ連軍の反応を心配された。

そして、陛下は、それは、陸軍の独断であり、もし万一、ソ連が立ったら、どうするのかと、仰せられた。

陛下の懸念をよそに、戦火は、拡大した。
日本軍は、蒋介石軍を追って、戦域を広げ、ついに、南京を攻略する。
そのときは、中国共産党も、抗日を旗印に、蒋介石率いる、国民政府軍の、第八路軍として、共同戦線をはっていた。
つまり、日本軍は、全中国を敵に回したことになる。

国内では、戦勝気分が高まり、更に、危機意識もあり、非常時の体制は、天皇陛下の周辺でも、叫ばれた。
宮中には、大本営が、設けられた。

歴史は、どのようにして、作られるのか、と、私は、考える。
時代性と、時代精神が、要になる。

阻止する勢力が、強ければ、それは、阻止されるが、弱ければ、続けられる。
その、根拠は、時代性と、時代精神である。

ドイツでは、ヒトラーが、第二次四ヵ年計画を実施、イタリアでは、ムソリーニが、スペイン内乱などを、通じて、より強固に国家体制を整える。

日本でも、国家総動員法が、公布された。

そして、陛下の懸念されたとおり、昭和13年7月、ソ連と、満州の国境付近で、戦火が上がった。

ソ連軍が、国境沿いに、勝手に、鉄条網を張り巡らして、陣地を構築しはじめたのである。

その一端は、日本側の、満州領内を侵していた。

これに対する、武力行使に対して、ひとまず、天皇の、大命を待つことになる。

陛下は、武力行使を許せということなら、自分は、絶対に、許す意思は、無いと、侍従武官長に、伝えていた。

参謀本部作戦課長、稲田正純大佐は、ソ連の出方を見るチャンスとし
「実力行使の大命を仰ぐ見込みなし・・・
状況は百八十度の転回をきたし、われらの責任や独断の範囲をすでに超越しあり。考えをあらたにして状況に善処せられたし」
と、前線基地司令部に、電報を打った。

陛下は、陸軍に対して、非常に、不満を募らせていた。
満州事変の柳条溝、盧溝橋事件、中央の命令に服さず、出先の、独断で、朕の軍隊にあるまじき、卑劣な方法を用いること、しばしばある、と。

今後は、朕の命令なくしては、一兵だに、動かすことならん、と、陸軍大臣に申し付けた。

しかし、前線部隊は、またも、大命を無視して、攻撃を開始した。
結果は、ソ連軍より、三倍の被害を出した。
日本軍は、やむなく、撤退。
なんとか、停戦にこぎつけた。

近衛首相は、辞職し、続いて、平沼枢密院議長が、内閣を受け継いだ。
彼は、軍人ではなかったが、右翼の代表と目されていた。
以後、日独伊三国同盟を、推し進めてゆくことになる。

どうしても、時代が、その方向に進むという、状況が見える。
それは、進化を促すために、その経験をさせるようである。

日独伊三国同盟は、ファシズムによる、世界制覇を目指したのである。
1940年、昭和15年、9月、ベルリンで調印された。
日中戦争、ヨーロッパ戦争に不参加の国からの攻撃に対する、相互扶助を約したものである。
だが、1943年、イタリア、45年、ドイツが、降伏して、同盟は、崩壊した。




posted by 天山 at 00:00| 天皇陛下について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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