2010年08月06日

天皇陛下について 6

大正10年3月3日、ロンドン・タイムスは、次の社説を掲載した。

三月三日は日本の歴史上最も記念すべき日の一つとなるであろう。裕仁殿下は、きょう横浜からわが国訪問の旅に出られる。日本の皇太子が国外へ出られるのはこれがはじめてである。これは世界最古の皇室の歴史の中で明治維新にも匹敵する大きな出来事である。

裕仁殿下、つまり、後の昭和天皇である。

世界最古の皇室。
日本の歴史上最も記念すべき日。

イギリスでさえ、皇室に対して、最大の敬意をはらう。何故か、世界最古の皇室としての、認識である。

イギリス王室が、決して、適わない歴史と、伝統を有する、皇室の存在である。
そして、イギリスは、それを、歓迎すると共に、誇りにしたのである。

当時のイギリスは、暗黒時代の只中にあった。
失業者は、180万人を数えたという。

そんな中、日本の皇太子の、訪問は、イギリスの、国力を示す良い機会だった。

バッキンガム宮殿をはじめ、多くの場所で、歓迎式典が、催された。
その際の、殿下の、お姿は、多くの人に、感銘を与えたという。

殿下は、目の上が発達されていて、観察力の鋭さをあらわしている。快活で気取らない、礼儀正しい態度は、感謝の気持ちに満ちている。
との、評である。

ただし、国内では、殿下の御外遊に対して、右翼団体の黒竜会のリーダー頭山満などが、過激な反対運動をしていた。

要するに、野蛮な外国へ行くことは、自分と、日本をいやしめる、という、内容である。

それは、知らないゆえのこと。
イギリスでの、歓迎の様を、見たら、如何に、それが、愚かなことか、解るのである。

ここで、特記すべきことは、オランダにて、第一次世界大戦の戦場を、訪れ、殿下は、戦争は、本当に酷い、可愛そうだと、しみじみと、感想を漏らしたということである。

大和言葉でいえば、あはれに儚きことなつかしくも哀しく思われた、のである。

ここに、昭和天皇の戦争に対する、思いが、象徴される。

9月3日、半年間の外遊を、終えて、日本に戻られた裕仁殿下は、二十歳を過ぎたばかりである。

帰国して、次々と、事件が起きる。

安田財閥の頭首、安田善次郎が、刺殺された。
天誅をくわえられたのである。

そして、11月4日、東京駅構内で、原敬首相が、暗殺された。

11月25日、殿下は、摂政に就任された。

父親の、大正天皇の、病状が優れず、執務は、不可能で、皇太子である、殿下が代行していたのである。

時代が、変わろうとしていた。

権威と名声を欲しいままにしていた、山形有朋公爵が、病死した。
明治維新から、日清、日露戦争を戦った、幾多の志士たちの、時代が終わりを告げる。

そして、青天の霹靂、関東大震災が、大正12年9月1日に、起きた。

大変な被害を出した。
東京市内でも、五万数千人が、焼死したという。

損害総額は、推算で、65億円。

流言蜚語が飛び交い、朝鮮人虐殺事件が起こった。

無政府主義者、大杉栄が、憲兵隊の手で、殺された。

摂政宮である、裕仁皇太子は、救済基金として、一千万円を寄付された。
現在では、一千億円に相当する額である。

更に、殿下は、被災地視察に出られ、大災害の状況を、目の当たりにした。
更に、殿下にも、災難が襲った。
難破大助という、凶漢による、皇太子狙撃事件である。

彼は、孤独な共産主義者であった。
特権階級にたいする過酷な警告の一つとして、皇族にテロリズムを遂行する、というものだった。

今でも、共産主義者は、特権階級云々をいうが、一番、特権階級を作るのは、共産主義であろう。

邪な、考え方を持つゆえに、そのような、考え方に染まる。
先祖の因縁が、悪いとしか、いいようがない。

その後、ご成婚、そして、大正15年12月25日、大正天皇が、崩御される。
47歳で、あられた。

皇太子裕仁殿下は、即座に、第百二十四代天皇に、なられた。

昭和が、はじまる。

大正天皇の、御大葬は、翌年、2月7日に、夜を徹して行われた。
宮城から、新宿御苑の斎場まで、50万人の参列者が、街道を埋めた。

イギリスでも、ウエストミンスター大寺院にて、追悼式が、しめやかに行われたという。

東京聖公会の、サザンプトン司教は、日本語で、祈りを上げたという。
ラテン語以外の、言葉が使用されたのは、はじめてである。

それから、天皇陛下としての、即位の大礼が、一年九ヶ月後に、京都御所にて、盛大に、行われた。

当時は、銀行閉鎖や、企業の倒産が、相次ぎ、失業者が、巷を埋める、暗い時代であった。しかし、皇室尊崇の篤い国民は、喜び、慶祝の声が、通津浦浦に満ちたという。

ここで、今上天皇の、生誕を書く。
第四子まで、内親王、つまり、女の子だった。

昭和8年12月23日、皇太子継宮明仁親王が、誕生された。
つぐのみやあきひと親王である。

この年に、月の砂漠という、歌が流行したのが、印象的である。

王子様と、お姫様が、砂漠をラクダに乗って、旅をする。

月の砂漠を はるばると 旅のラクダがゆきました
先の鞍には、王子様、後の鞍には、お姫様

皇太子を、連想させる歌詞が、この歌を、人々の口に上せたのだろう。




posted by 天山 at 00:00| 天皇陛下について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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