2010年07月22日

メーソートへ 8

次の場所は、ミャンマー難民の、幼児用の孤児の家である。
バンメーパという、名前の家である。

ところが、迷った。
複雑な道で、奥様も、分からなくなった。
何度も、行きつ戻りつを、繰り返した。

私も、どこを、どう走っているのか、分からなくなった。

電話で、中野さんと、奥様が、問い合わせている。
そして、ようやく、出た。

住宅街の、込み入った、中にある。

丁度、昼ご飯が終わり、子供たちは、お昼寝の時間だった。
静かである。

若いスタップの、男の子が、玄関の扉を開けてくれた。
そういう、スタップが、五、六人いた。
彼らも、孤児である。

代表の、女性と、男性が、歓迎してくれた。

女性が、私たちを、子供たちの、寝ている部屋に案内してくれた。

そこで、写真を撮らせてもらう。

およそ、40名が、暮らしている。
その資金は、男性のお兄さんが、毎月、シンガポールから、三千バーツ、六人円を、仕送りしてくれているという。
勿論、それでは、足りない。

私は、すべての、支援物資を、出した。
多くは、幼児物であるが、中に、大人物もあった。

兎に角、すべてを、出して、見て貰い、必要ですかと、尋ねた。
女性は、必要ですと、言った。

更に、私は、次は、どんなものが、必要ですかと、尋ねると、寒い時期の、衣類ですという。

山間部は、十月後半から、一月まで、寒い時期が、続く。
それが、更に、寒さが、増しているのだ。

タイだけではない。
ベトナム、ラオスも、そうである。
中国国境地帯は、寒冷化が、進む。

寒さによる、死者も出ているが、そんなことは、報道されない。
更に、悲しいことは、今まで、寒さに慣れていない人たちであるから、防寒の、備えが無い。

タイ、北部、東北部にも、必要なのである。
毛布もないというから、子供と、お年寄りは、大変だと、聞いた。

ここで、温暖化と、寒冷化について、語ることは、避ける。
科学者も、意見が分かれるのだ。

さて、衣類を出し終えると、甘いコーヒーが、出た。
とても、美味しく感じられる。

汗で、塩分と、糖分が、流れてしまう。
コーヒー牛乳のような、コーヒーである。

そこで、色々と、話がはじまった。

もう、この家では、限界だという。
階下には、障害を持つ子供たちも、数名暮らしているという。

男性は、別に、家を、持ちたいといった。
しかし、資金は無い。

だが、このような、施設、家は、メーソートに、沢山あると、平倉さんが、教えてくれた。

子供の施設だけでも、多数あり、すべての、施設では、支援が必要であるとのこと。

タイ政府は、見て見ない振りをしている。
違法入国であり、しかし、人道上、排除も出来ない。
それに、バンコクからは、離れている。

だが、タイ政府の、曖昧さは、北朝鮮の、脱北者たちも、助けている。

東北地方の、ある町を目指して、脱北者が、来るのである。
更に、チェンマイには、彼らを支援する、団体もある。

それに、タイ政府も、それ以上のことは、出来ない。
タイ人、特有の、曖昧さが、救いとなる。

次に来る時は、寒い時期の、衣類も、もって来ますと、私がいうと、二人の代表が、とても、喜んだ。

誰かが、助けないと、やってゆけないのである。
街の中には、ミャンマー人も、大勢暮らす。その人々からの、支援もある。

中野さんの、奥様も、ミャンマー人であり、少数民族の出である。

更に、街の中には、インド系の人たちもいる。
皆、ミャンマーから、流れてきた人たちであろう。

対岸の、ミャンマーの建物と、タイ側の建物は、明らかに違った。
全く、別物である。

ミャンマー側の、国境の町、ミャワディーは、観光客が、回れる部分だけは、整然と、整理されているが、それを抜けると、とんでもなく、貧しい。
観光客には、化けた部分だけを、見せているのである。

私は、コーヒーを飲み終えて、それで、また、来ますと、立ち上がった。
お手伝いの、女の子たちも、挨拶に来た。
皆と、写真を撮る。
知り合いの、子供たちと、会う感覚である。



posted by 天山 at 00:00| メーソートへ 平成22年7月 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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