2010年07月12日

奇跡の旅・ビアク島へ 12

私たちは、元の場所に、戻った。
そして、今度は、日本軍の、遺留品を展示してある、建物に案内された。

一つ一つを、見て、胸に迫るものを、感じた。
そこでも、清め祓いをした。

特に、手榴弾は、自決用のものである。
病に倒れた者が、自決するのである。
また、皆の、足手まといになる者も、自決する。

更に、健康な者も、絶望して、自決した。
援軍が来ないと知ると、自決する者も、多々いた。

通訳の青年が、私の汗を見て、水をという。
運転手が、買ってくるというので、5000ルピアを渡した。

しばらく、建物の中で、過ごした。

そこを、管理している、男が、現れ、私に挨拶した。
そして、名簿に、名前を書いてくれと、言われた。

別の場所に、受付があり、そこの、芳名帳に、名前と、住所を書く。
すると、通訳の青年が、10万ルピアを払ってくれと、いう。
私は、その通りにした。
すると、おばさんが、チケットを渡してくれる。

その建物の、管理で生活しているらしい。

外に出ると、いつのまにか、人が集っていた。
衣服支援をすると言ったので、彼らが、あらかじめ、伝えていたようである。

そこで、バッグを車から取り出して、衣服支援を行う。
私の手から、相手の手へと、渡す。
皆さん、じっと、私の手元を見て、決して、騒がないのである。

大人用もあり、集まった人たちに、渡す事が出来た。

水を飲み、それでは、次に、ということになった。
あら・・・何処へ行くのか・・・

しばらく、走ると、ビーチに出た。

ああ・・・日本政府が、建てた、大きな慰霊碑の前に出た。
先の、昭和31年の、慰霊碑の、百倍以上の大きさである。

その前で、深く、黙祷する。
すると、その慰霊碑の、中に、案内された。

数十人の、遺骨がある。

驚いた。
皆、日本に、運ばれていると、思った。

少し、線香の匂いがした。
そこで、清め祓いをする。

あまり、大袈裟にしなかった。
地元の人たちが、見に来たからである。

すると、通訳の青年が、ビーチにいた人たちに、声を掛けた。
衣服支援である。

裸の子供もいる。
大人も来た。
だが、もう、あまり、衣服は残っていない。
それでも、少し渡す事が出来た。
中に、日本語で、ありがとう、という、人たちもいた。
そして、さようなら、である。

車に乗り、皆に、手を振り、別れた。
私は、もう十分だった。
時間にすると、二時間半を、超えていた。

私は、ホテルに戻ると、告げた。

通訳の青年が、また、色々と話をする。
彼は、時々、こうして、通訳をして、お金を得ていると、言った。

そこで、私は、チップは、幾らかと、尋ねた。
10万ルピアという。
私は、その通り、10万ルピアを、出した。
千円である。
十分な、収入である。

ホテルに到着した。
明日の、時間を決める。

私は、三時に、ホテルを出るつもりだった。
それを言うと、ホテルの主人が、それでは、もう、20万ルピアが、必要だという。
チェックアウトは、12時であると、いうのだ。

ああ・・・それなら、追加料金で、5万ルピア程度にすれば、いいのにと思ったし、交渉しようかとも、思ったが、疲れていたので、やめた。

それでは、と、運転手に、12時にと、告げた。

ホテル経営では、やっていけないことは、一目瞭然。
大家族である。
おばあさんから、孫までいる。

島にやってきた人から、お金を取るしか、方法がない。
何せ、客は、私ひとりである。

私は、部屋に戻り、すぐに、水を浴びた。
すべてが、終わった。
その、安堵感。
よくぞ、やったものだ・・・と、我が身ながら、感心した。
時間は、一時を過ぎていた。



posted by 天山 at 00:00| 奇跡の旅ビアク島へ 平成22年6月 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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