2010年07月11日

奇跡の旅・ビアク島へ 11

1943年、昭和18年2月、ソロモン地域の、ガダルカナル島を、反抗の拠点とした、アメリカ軍は、まず、ブーゲンビル、ラバウルを陥落させる。

更に、9月には、ニューギニア島、フィンシュハーフインに、上陸する。
昭和19年3月には、ポーランジア、4月には、アイタペに上陸。
つまり、二ューギニアの、東海岸線である。
そして、徐々に、ビアク島に、迫るのである。

昭和19年4月17日から、ポーランディアを拠点にし、ビアク島に、連日空爆を行うのである。

そして、5月27日、ついに、米軍第41歩兵師団等が、数万名で、ビアク島に、上陸する。

ただし、日本軍の、守備隊も、夜襲と突撃を繰り返し、米軍を未曾有の苦戦に、陥れる。

後に、アメリカ軍は、ビアク島の、日本軍の、抵抗の様を、賞賛するほどのものだった。

だが、アメリカ軍をはじめとする、連合軍の、続々と追加支援される、圧倒的な、物量戦の前に、日本軍は、全滅させられる。

陸軍、兵長、工兵中隊兼衛生兵だった、渋谷惣作さんの、証言である。
葛目直幸連隊長は、昭和19年7月2日、自決。奇跡的に生きている我々も、ほとんどが、負傷、または、食料不足で衰弱しており、望郷の念は強くとも、撤退する術もなく、ただ情けない姿で、ジャングルを逃げ惑うだけの、部隊となった。

この作戦は、後に続く「あ号作戦」つまり、マリアナ沖海戦と連動し、国家の存亡をかけた、極めて重要な作戦だった。

第一次、 第二次作戦は、失敗し、第三次作戦は、戦艦「大和」「武蔵」が率いる、大艦隊による、増援部隊の、輸送作戦だったが、その間に、連合軍が、サイパンに上陸したとの、知らせに、大本営は、サイパン重視と判断し、全艦隊を、サイパン救援に転じた。

つまり、ビアク島、いや我々は、祖国に見放され、あとは悲壮な絶望的状況下で、死を待つだけの部隊となったのである。
渋谷惣作

日本軍が、ビアク島に配備した兵力は、陸軍、10,400名、海軍、1,947名、その、過半数は、飛行場設営部隊や、海上輸送隊、開拓勤務隊などの、後方勤務部隊が、占めた。

戦闘部隊は、歩兵第222連隊を中心に、海軍陸戦部隊を加えても、4,500名にすぎない。

その中に、台湾軍夫、インドネシア兵補、約3,000名が、加わる。

ビアク支援の司令部が、置かれた、西洞窟は、三層の床を張り、最大時には、2,000名を収容していた。
しかし、六月半ばには、食糧も、飲料水も不足し、将兵は、わずかな乾パンと、鍾乳洞から、滴り落ちる、地下水で、飢えと、渇きをしのいだ。
そのため、赤痢患者が続出し、洞窟内は、糞尿と、死体から発する、悪臭で、満ちた。

更に、ジャングルに投げ出された、兵士たちは、飢餓と、マラリアに、斃れてゆく。

アメリカ軍は、8月20日に、ビアク作戦の終結を、発表した。

日本軍の、生還者は、捕虜、434名と、敗戦後に、86名が、収容されて、520名である。

アメリカ軍の、死者は、471名。

証言
動けない病人を置いていくように、指示を受けた。そのとき、残る病兵は、12,3人しかいない。乾パンと、手榴弾を渡していった。必ず戻るからと。

私は、その残された、手榴弾が、展示されているのを、見た。

証言
頑張ろうという私の言葉に、顔を上げた、将兵は、何一つ、怪我を負っていなかった。しかし、しばらくすると、彼は、手榴弾を体で、包み込み、岩に、突撃した。みじんに、炸裂する、体。可愛そうだと、思った。この先の、苦痛を考えて、その行為に至ったのであろう。

証言
死にかけの人間に、生水を飲ませると、途端に死ぬ。そういう常識があった。だから、弱りきった老兵に、水を飲ませた。それから、幾分もたたぬうちに、死んだ。けれど、弱りきった老兵が、見せた、滂沱のような、涙。それが、不思議だった。あれほどの、水分を残しているわけがない、と思った。

証言
一年以上を深いジャングルで、隠れ住む。食料の奪い合い。重火器を持った、仲間に殺される。そこかしこを走る、ネズミを潰して、口にする。塩分欲しさに、浜へ出れば、殺される。

今回は、詳しい、戦争の有様は、紹介しない。
興味のある方は、ニューギニア戦線についての、書籍を、読んでください。

私たちは、洞窟に降りた。
二人は、私が、滑らないようにと、両側に、ついた。

底に至る、階段は、湿り、ツルツルと、滑る。

底に下りて、私は、君が代を、斉唱した。
二度、斉唱した。
そして、黙祷した。

それ以上、何も出来ない。

兎に角、この場で、息絶えた兵士の、皆様に、敬意を表し、更に、深く哀悼の意を捧げる。

恐れながら、清め祓いを行った。

苦悩、苦痛の、思念、想念を、祓う。

この時代に、生まれて、生きたことを・・・
そんな、声が聞こえる。

私は、そんな時代ではない、時代に、生まれて、生きている。
この差は、何か・・・

誰も、応えられないはずである。

私は、戦争に反対する。
この追悼慰霊の行為に、おいて、反対する。

私の、反対の、根拠は、この、追悼慰霊である。

最後の様子は、仲間同士でも、殺しあったという、地獄である。
誰かが、生き延びるために、誰かを殺さなければならないという、そういう、極限に、人間を追い詰める、そういう、事態を、作り出しては、いけない。

一ヶ月もの間、アメリカ軍に、抵抗したのは、ビアク島の、日本兵であると、後に、賞賛されても、詮無いことである。

今、一度、兵士の、冥福を祈る。

洞窟の
無念の思い
満ちてある
石の一つに
涙流るる

運転手は、私の肩に、手をあてて、慰めていた。

無言で、洞窟から、出た。

一人になって、私は、涙を流したかった。

せめても、泣くことを、許し給え

帰国しても、あの洞窟を、思い出すと、涙が流れることがある。

もう、追悼慰霊は、行わない・・・

そんな、心境になるのである。
追悼など、そんなことをして・・・




posted by 天山 at 00:00| 奇跡の旅ビアク島へ 平成22年6月 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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