2010年07月01日

奇跡の旅・ビアク島へ

兎に角、早く、追悼慰霊に出掛けたいと思っていた、ビアク島である。

パプアは、ニューギニアの、西半分の、インドネシア領、現在は、イリヤンジャヤという。
その、北西にある、小島である。

ニューギニア戦線は、最悪の激戦地である。
その、最後の激戦地である、ビアク島。

餓死、病死、そして、米軍と、オーストラリア軍の、火炎放射器によって、壊滅させられた。
亡くなった日本兵は、一万二千名ほどである。

ジャカルタから、スラウェシ島の、マカッサルを通り、マルク諸島を飛行して、ビアク島に向かう。
おおよそ、六時間である。

単独行動で、行った。
私は、この旅を、奇跡の旅・ビアク島へ、と、銘打つ。

出発は、6月21日、朝の便である。
であるから、前日に、すべて用意して、朝タクシーを予約しておく。
六時に家を出る。

支援物資が、大半であるから、一人では、大変な旅である。

前日の、夜に、お握り、五個を作った。
そんなに、作るつもりでなかったが、ご飯が大量に残ったのである。

鰹節が、二個と、母の作った梅漬けが、三個。
これが、ジャカルタの二回の、朝の食事になったという・・・自分でも、呆れる。

タクシーの、運転手さんが、尋ねた。
どちらですか
インドネシアの、ビアク島に行きます
えーっ、そんな島聞いたことないなー
日本兵が、一万人ほど、亡くなっているニューギニア戦の激戦地です。慰霊に行きます。
慰霊ですか・・・
ええ、それと、衣服支援をします。ジャカルタでもしますよ
お一人ですか
ええ
自腹で、行くんですね
ええ
凄いことですね
いやー、ゴルフをしたり、旅行に行くのと、同じですよ
いやー、そんなことはない。自腹で、そんなことをする人なんて・・・でも、本当は、皆、やりたいんですよ・・・

いや、違うと、思った。
運転手さんが、したいのである。だが、皆と、言って、曖昧にしたのである。

荷物を下ろして、私が、カートに乗せると、運転手さんは、深々と、頭を下げた。
無言で、見送ってくれた。

私は、急いで、バスチケット売り場に走った。
後、三分で、バスが出る。
バスに乗り込み、安心して、眠ってしまった。

気づいた時は、成田空港の、検問所に着く頃だった。

急いで、お握りを一つ、食べる。

飛行機の、チェックインが始まっていた。
問題は、支援物資の、重さである。

一度、計っていた。
二つの、バッグで、約25キロである。
受付の、お姉さんの顔色を見る。

少しオーバーしていますので、抜いていただけますか

しょうがない。
タオル類を、機内持ち込みの、バッグに詰めてみた。
また、お姉さんの顔色を見る。

これで、いいですよ

機内持ち込みの、バッグは、二つで、自分のバッグは、着替え用で、パンパンである。
そして、支援物資のバッグも、パンパンになった。

あのー座席は、後ろの席で、トイレに近い場所にしてください
つまり、うまくいけば、座席に寝られるからだ。
だが、飛行機は、満席だった。

通路側の、トイレ近くである。

台北で乗り換えて、香港を経由して、ジャカルタに行く。
香港経由が、面倒である。

それに、三度も、機内食を食べるのである。
朝、9:40発、ジャカルタには、夜の、20:20に、着く。日本時間では、22:20である。
時差が、二時間ある。
およそ、12時間。

十年間、飛行機に乗れなかった私が、今は、飛行機に乗るのが、楽なのである。
パニック障害だった。

飛行機が、振動無く、飛ぶよりも、少し揺れると、乗っている気分になるという、倒錯である。

だが、12時間は、やはり、きつい。

その間の、唯一の楽しみは、香港で、喫煙室があること。
台北の空港は、全面禁煙である。

着物姿は、勿論、私だけ。
いよいよ、今回の、奇跡の旅の始まりである。
飛行機に乗る前に、睡眠導入剤を飲む。これが、いい。そうでなければ、疲れて、倒れてしまう。



posted by 天山 at 00:00| 奇跡の旅ビアク島へ 平成22年6月 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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