2010年06月27日

タイ・パタヤの闇 4

昼間見つけた、カンボジア流民の親子に、夕方、支援物資を持ってゆこうと、思った。

そして、部屋で、休んだ。
コータも寝た。

私が、目覚めたが、コータが、まだ、寝ている。
コータは、夜起きているものだから、昼間よく寝る。

そこで、私は、一人で、すべての支援物資を持って、出掛けた。
最後の、支援物資である。

その親子のいた場所に行くと、すでに、いない。
矢張り、その時、上げなければ、チャンスを逃す。

暑くて、いられなかったのだろう。

夕方といっても、まだ、暑いのである。

私は、そのまま、ビーチに出た。

すると、目に入ったのは、物乞いのおばあさん、である。
更に、その隣に、親子連れもいる。

だが、カンボジア流民ではない。

皆、タイ人である。

親子連れに、早速、衣服を出した。
子供用である。
男の子が、とても、喜んだ。
すると、次から次と、人が現れた。
支援物資が、欲しい人たちである。

その辺りは、観光客が多く、更に、夜のバーが始まる前の、お姉さんたちも多い。

子供がいるという、女が、来た。
指で、子供の年齢を示すので、その年齢に合った、衣服、ズボンを取り出す。
それが、また、次から次と、現れる。

今までは、そんなことが、なかった。
そこは、ストリートチルドレンがいる、場所である。

女物の、衣服を出てきた。
すると、最初に見たおばあさんが、欲しいと、言う。
子供に渡して貰った。

更に、それを、見ていた、タイの青年に、写真を撮ってもらう。
ストリーチチルドレンも、現れたので、ティーシャツ、ズボンを出す。

あっという間に、支援物資がなくなるのである。

丁度良い、時間帯だったのだ。

写真を撮ってくれた青年に、コープクンカップといって、別れた。
その後で、子供たちも、写真を撮りたいと、言う。
そこで、カメラを渡して、皆で、写真を撮った。

ただし、どのように写っているのは、解らない。
コータが用意していた、カメラで、簡易カメラではない。

お金を欲しがる人もいたが、お金は、上げない。
それをはじめると、終わらなくなるからだ。

すべてを、上げて、ゲストハウスに戻る。

ウォーキングストリートに、入った時、コータが、やって来た。

もう終わったよと、私がいうと、コータは、実に、残念な顔をした。
写真を撮るために、準備していたのだ。

あの親子は、いなかった。
その時じゃあなければ、駄目だ。

起こしてくれれば、いいのにと、コータが言う。
私は、優しいから、そんなこと出来ないんだよと、言う。

本当は、とんでもなく、激しい感情家である。

コータとも、よく、激論する。
周囲の人が、驚くことも、多々あるほど、激論する。

しかし、激論できる相手だから、こそ、一緒に行動できる。
激論が終われば、それまで。

私も、よく、謝るようになった。
つまり、成長した。

ただし、追悼慰霊や、支援物資を、差し上げている時は、決して、そんなことはない。
激論している暇は、無い。

夜である。
パタヤの最後の夜。
それでは、飲みに出掛けるかと、思うものの、体力と、気力が尽きた。

私は、もう、ご飯も、食べないよ・・・

コータは、一人の、レディボーイを見つけて、色々と、話を聞いているようだった。
明日、コータがバンコクへ戻り、私は、もう一日を、パタヤで過ごす予定である。

ということで、コータが出掛けた。
私は、寝る。

翌日、コータが、戻らない。
だが、明日から、授業がはじまるから、今日は、バンコクへ戻らなければならない。

そして、私も、一緒に、バンコクに戻ることにした。

支援物資もなく、きっと、夜になると、体力、気力が尽きて、どこへも、出掛けないだろう。
それでは、パタヤにいる、必要は無い。

コータに、電話した。
私も、バンコクに戻るから、12時までに、帰って、おいで。

30分おきに、バンコク行きの、乗り合いバスが出る。
それで、戻ることにする。
一人、250バーツである。

段々と、賢くなって、タクシーなどは、使わなくなる。

タクシーだと、千バーツ前後の、料金になるのだ。

そして、バンコク騒乱も、終わりを告げていた。
タクシン派の幹部が、投降したという、ニュースである。

60数名の、死者を出した騒乱も、終わった。
タイは、これから、まだ、混乱が続くだろう。

東南アジア、アセアンでは、最も、優秀な国である。
とても、残念だ。
更に、国王は、入院している。

民主化を目指す国王だが、矢張り、タイ国民には、国王からの、メッセージが一番である。

タクシン派と、反タクシン派との、利権を巡る、対立から、更に複雑化した、状況になってしまった。

民主主義というより、日本のように、立憲君主制が、最も、タイには、相応しい。
国に、唯一、無私の人がいるという、誇りは、変え難い。

タクシン派は、その背後に、中華系がいる。
中華系は、その背後に、中国がいるということだ。

中華系の、ゴキブリを、許して置けは、母屋を取られる。
日本も、注意、注意である。

バンコクに、戻り、帰国まで、コータの部屋で過ごすことにした。

コータが、学校に行っている間は、私の勝手な時間である。
スーパーに買い物に行く。
そして、驚く。
日本の食材が多くなった。

刺身セット、寿司セットもある。
更に、日本の、キノコ類である。
どんどんと、日本製品が入ってる。
価格は、少し高いが、日本製は、信頼がある。

通りで、一本、12バーツの、茹でとうきびを買い、一つ10バーツの、果物類を、買う。
スーパーより、安いからだ。

売り子さんたちとも、顔見知りである。
もう、三度目くらいであろうか。
マンションアパートの、従業員とも、顔馴染み。

そこにも、居場所があるような、気持ちになる。

食堂の、不機嫌なおばさんも、私には、微笑む。

そして、帰国の日。
夜、空港に向かう。
朝、3:30から、搭乗手続きがはじまる。

乗ったタクシー運転手が、暴走族上がりのようで、カーチェイスのような、運転に、わくわくする。
そして、メーター料金通り。
私は、50バーツの、チップを渡した。
いかつい、お兄さんは、それで、笑顔になった。

どこにも、人というものがいる。民族対立なんてーーーと、思う。



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