2010年06月22日

ラオス・ビエンチャンの醒めない眠り 8

翌日の、一日は、まったく予定は無い。
午前中に一度、近くの市場に見学に出た。

魚、野菜、その他諸々が、売ってある。
その一つ一つを、見て回る。
その、活気がいい。
ただし、暑い。

昼の食事をする店を、探した。
市場の食堂は、とても、安いのである。
その、一軒を見つけて、ホテルに戻った。

それだけでも、汗が噴出していた。

明日は、夕方の国内線で、バンコクに戻る。
そこで、チェックアウトの時間を、遅くしてもらうために、フロントに行く。
タイムオーバーだから、追加料金がかかるはず。だが、二時までいても、追加料金は、いらないという。
それではと、二時まで、部屋にいることにした。

そして、ホテル前の、女性が所有する、トゥクトゥクに、明日の、二時に、エアポートまで行くといい、料金を尋ねると、100バーツである。
それで、決めた。

昼になったので、市場の食堂に行く。
客は、いなかった。
店主と、奥さんは、大歓迎してくれた。

タイ語が、話せるかと、聞かれた。
出来ないと、言うと、奥さんが残念そうである。

タイ風ラーメンを頼む。
麺は、指差して、決めた。
さらに、魚介類を選び、主人が、示した、野菜も、入れることにした。

いつもより、量が多い。
暑い中、暑い麺を食べる。

30バーツ、100円である。
美味しかった。タイ語で、アローイという。
何度も、アローイといって、私は、店を出た。

果物が、食べたいと、市場で、小売している、おばあさんのところに、行く。
そこで、マンゴーを指差す。
5個で、15バーツである。
私は、皮を剥けないので、皮を剥いて欲しいと、身振りで、言った。
おばさんは、頷いて、一つ一つの、皮を剥いて、さらに、食べやすく、切ってくれた。

一人では、食べきれない量である。
ホテルに着いて、ベッドメークの、おばさんに、二個分を差し上げる。

マンゴーは、腹持ちがよく、夜まで、腹が一杯だった。

夜の食事は、イサーン料理の店に行く。
昨夜の、隣の店に行くことにしていた。

シャワーを浴びて、兎に角、体を、休めることにする。
私は、熱中症の対策をせず、外に出るので、実に危険である。

熱を、体に溜めたままにしていると、確実に、熱中症になるので、部屋で、体から、熱を取る。

そして、水を良く飲むのである。

ラオス、ビエンチャンの、支援は、あっけなく、終わった。
更に、二泊だけの滞在である。

ラオスは、地方に行くべきだと、考えた。
北と南へ、行くことにする。
山岳地帯の、村々には、物が、限りなく、不足している。

ラオスが、それなりの、国になるには、気の遠くなる、時間が必要である。
前回の、旅日記にも、書いたが、教育が、真っ当に行われていない。
それは、フランス植民地時代に、さかのぼる。
フランスは、知識人を増やすことを、恐れて、教育を、おろそかにした。それが、一つの、政策だった。

現政権も、教育に関して、まだ、曖昧である。
建物は、あるが、先生が来ない、教科書が無いという、状態である。

ごくごく、選ばれた者だけが、中国、上海などに、留学する程度である。
国民に、教育をさせないという、裏には、賢くなってもらっては、困るという意識があるものと、見る。

秘密選挙自体が、怪しい。
矢張り、独裁政権と言うしか無い。

多くの支援を、他国から、得ているが、国民のために、使用されているのかは、不明である。

少しでも反政府の行動があると、即座に、取り締まるというのも、独裁政権の、特徴である。

ラオスの、若者たちに、希望は、見えない。
どうしても、今の生活の中でしか、生きられないとの、諦観がある。

文明社会の、恩恵を受けられる人は、少数である。
国に、活力を与えるためには、若者に、教育が、必要不可欠である。

予算が無いため、海外からの、支援により、専門学校が、出来るようになったと、言うが、それ以前の、教育が、なされなければ、特別な子供たちだけが、通えるだけである。

貧しい村々では、文具もないのである。

更に、子供たちは、早くから、生活の手伝いに追われる。
結果、そのまま、大人になり、希望なく、生きることになる。

バイクタクシーか、トゥクトゥクの運転手になる程度の、希望である。



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