2010年06月21日

ラオス・ビエンチャンの醒めない眠り 7

ウドンターニのバス停は、混雑していた。
その中でも、トゥクトゥクの売り込みが、激しい。

私の傍にも、一人のトゥクトゥクの運転手が、やってきて、売り込みる。

私は、町外れの、一泊250バーツのホテルと、決めていた。
あまり、しつこいので、料金を聞くと、70バーツである。
少し高い。

だが、乗ることにした。
すると、すでに、母と女の子が、乗っていた。

何と、家族一家で、ある。
ということは、トゥクトゥクを住まいにも、しているのかもしれない。

驚いたのは、女の子の、教科書である。
タイ語と、日本語の対比である。

それを、母子で見て、私に話し掛けてきた。
文具があれば、その子に、渡したいと思った。

ウドンターニは、東北地方、イサーンの都市である。
ここから、バンコクや、パタヤに、出稼ぎに出る。

更に、タクシン派の活動拠点の一つであり、市内では、反政府運動が盛んでもある。
私の、滞在していた日も、町の中心部で、デモを繰り広げていたらしい。

私は、町はずれの、ホテルだったので、それを、見ることはなかった。

ホテルは、古い大型のホテルで、主に、タイ人が利用する。
250バーツは、ホテルとして、安い。ゲストハウス並みの、料金である。
750円である。

部屋も広く、エアコンが、点けっぱなしになっている。
フロントで、管理しているのだ。
お客が入ると、エアコンが機能する。
しかし、それが丁度良いのだ。
24時間、点けていても、丁度良いくらい、暑いのである。

ホテルの裏手には、市場が、二つもある。
私は、それで十分だった。
市場に行けば、何でも揃う。
食堂も、ある。

浴衣を、脱いで、シャワーを浴びて、タイスタイルに、着替えて、水を買うために、外に出た。
ホテルの並びに、コンビニがあり、とても、便利である。
何はともあれ、水は、必要不可欠。
ペットボトルを買って、ホテルに戻り、安心して、ベッドに、横になった。

旅の間は、興奮しているから、あまり感じないが、旅を終えると、その疲れが、どっと、出るのである。
だから、旅の間に、休むことなのである。

そこで、H君を思い出し、電話を掛けることにした。
そして、電話番号をじっと、見詰めて気づいた。
これは、日本の携帯番号である。つまり、一度、日本を通して掛けなければ、通じないと。

そこで、日本に電話をするように、掛けてみた。
それで、つながった。

H君は、丁度、チャンマイに着いたところだった。
つまり、私と前後して、ビエンチャンを出たのだ。そして、そのまま、長距離バスに乗って、チェンマイに向かったのである。

一晩かけて、チェンマイに着いたようだ。
彼も、電話をしていたようである。
彼は彼で、日本を通して、私にかけていた。私の番号は、タイの番号であるから、通じない。

彼は、北の地方を回り、27日に、帰国すると、言った。
私は、26日に、帰国する。
それでは、日本で、会いましょうということで、電話を切った。

彼は、薄いリックサック一つの、荷物である。
もし、彼が、一緒に旅に出てくれたら、彼の荷物として、支援物資を、飛行機に積み込む事が出来る。
その後は、自由行動にして、協力を御願いしたいと、思った。

とりあえず、電話がつながり、安心した。

私は、しばらく、ベッドで、休む。

夜の食事は、ガイドブックにあった、イサーン料理の店に行くことにした。
もち米の、カオニャオと、おかずを食べる。
店の前では、鶏肉と、ブタ肉を焼いている煙が、もうもうと、立ち込めている。

二件並んである。
私は、その一軒に入り、鶏肉と、カオニャオを注文した。
イサーン料理は、パパイヤサラダの、とても、辛い、ソムタムという料理がある。
それと一緒に、カオニャオを食べるのだが、私は、遠慮した。

容赦なく、辛いので、食べるには、気力がいる。
今、タイ全土で、その、ソムタムを、食べる事が出来る。
タイ料理としても、定着するだろう。

町外れだから、実に静かである。
人も少ない。

ホテル前から、その店の横は、広い公園になっていて、博物館が建っている。

帰り道、その公園で、寝泊りする人たちを、見た。ホームレスである。
あまり、悲惨さは、無い。
少しばかりの、食べ物を食べていた。

この街には、冬物の衣類を持って、来る予定である。
特に、郊外に行くと、寒さで、死ぬ人もいるといわれる。
この街が、出来た経緯も、ベトナム戦争時代である。



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