2010年06月20日

ラオス・ビエンチャンの醒めない眠り 6

三日目の朝、予定を切り上げて、タイ、ウドンターニまで向かうことにした。
本当は、四泊する予定だったが、魅力のない街にいても、しょうがない。

それなら、ウドンターニに、二泊することにした。
いずれ、ウドンターニへは、冬物を運ぶ予定であるから、丁度良かった。

チェックアウトの、12時前に、ホテルを出た。
あの、タクシーのおじさんらに予約したのは、キャンセルである。
勿論、何の連絡もしなかった。

あの、一日で、20万チャットも、稼いだのだ。言うことはないだろうし、また、もう二度と、ここには、来ないから、会うこともない。

ホテルを出て、バターミナル方向へ歩く。
すぐに、トゥクトゥクが見つかる。
あちらから、声を掛けてきた。

料金は、4万チャットであり、打倒な値段である。
ブロークン英語で、お互い、それで丁度良い。

道が、空いていて、スムーズに、バス停まで、行った。

帰りは、支援物資がないので、楽々である。
コープチャイと、おじさんに、言って、お金を払い、バス停前で、降りる。
すると、一人の青年がやって来る。
言葉が解らないが、ウドンターニと言うと、キップ売り場に連れて行ってくれた。

更に、乗り場まで、教えてくれる。
何か、売りつけるのかと、思いきや、それで、終わり。
要するに、親切なのだ。

国境をバスで、越える。
つまり、出国と、タイの入国をするのである。
その度に、バスが、止まり、客を待つのである。

出発時間まで、一時間ほどもある。
私は、近くを歩くことにした。
しかし、実に、暑い。
ただでさえ、汗をかく。
水を買って、それを飲みのみ、歩いた。

市場などがある。
そして、目に入ったのは、物乞いたちである。
障害者が多数。
女の子を連れた、母親もいた。

私は、心を鬼にして、お金は出さなかった。出せば、キリがないからである。

しかし、矢張り、我慢できず、三回、2000チャットを、出した。

少し歩くと、日本語で、話し掛けてきた、おじさんがいる。
驚いた。

えー、私は、日本で、25年働きました。今は、日本の年金を貰って暮らしています。娘が、日本にいます。私の家は、大きな家です。と、色々と、話す。
日本の年金で、暮らしていると、いうのだ。驚いた。

ところで、私は、夜の食事は、ホテル沿いの、和食の店で、食べた。
その時、すべての客が、日本人の男たちだった。
そして、皆、年金暮らしである。

一人の、おじいさんが、ここは、安くて、若い姉ちゃんも、遊んでくれるから、いいと、言っていた。

車椅子に乗っていた、おじいさんもいた。

久しぶりに、日本語を話すのか、おじさんは、中々話しを止めない。
私は、頷いて聞いていた。

ようやく、話が、ひと段落ついたので、私は、お元気でと、いい、その場を去った。
そして、市場の中に入り、見て回った。
ほとんど、食べ物を売っている。

矢張り、暑いので、私は、バス停に戻り、日陰のベンチに座った。
さて、トイレに行きたくなった。
トイレは、向こう側にある。
荷物は、どうするか。
フィリピンでの、盗まれたことを思い出した。しかし、隣に、座っていた、女の子に、身振りで、荷物を指して、御願いと、言った。
もし、彼女が、ドロボーなら、終わりだが、戻ると、大丈夫だった。
大切なものは、持っていたが、それでも、危ないことである。

トイレに入るのに、1000チャットを、払った。
それでも、綺麗とは、いい難いトイレである。

ようやく、出発時間が来た。
バスに乗り込む。満席である。

私の隣の席に、若い女の子が、座っていた。
ラオス人である。

ずーっと、携帯電話をいじっている。

その子も、何かと、親切にしてくれた。
ここで、降ります。荷物は、置いていて、大丈夫です。
勿論、言葉ではない。身振りである。

出国をする。
満席のバスから、皆、一度降りて、出国手続きをする。

皆が、揃うと、次は、友好橋を通り、タイ側に行く。
そして、入国手続きをする。
バスが、客を待つ。

タイ入りして、ようやく、バスが、ウドンターニに向けて、走る。

私も、隣の女の子も、寝た。
気づいた時、私たちは、恋人同士のように、なんと、肩を寄せ合って、眠っていたのだ。
二人で、それに気づいて、何となく、気まずい雰囲気である。

バスは、ウドンターニの市内に入っていた。
バス停に到着して、私たちは、さようならも言わず、バスを降りた。




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