2010年06月19日

神仏は妄想である 278

密教、特に、空海について、少し、書いてみた。
しかし、実際、空海の、輸入した、密教は、完全ではない。
それは、密教へ至る道の、途中のものである。

密教が完成するのは、その後の、インドである。
以前、タントラについて、紹介したが、実は、タントラが、密教完成の、ポイントであり、それは、チベット密教によって、今、それを、見る事が出来る。

それは、壮大な、妄想であり、また、実に恐ろしいほどの、内容である。
インド魔界が、関与して、はじめて、姿を現したといえる。

釈迦仏陀は、それを、見通していたと、思える。

釈迦仏陀の、教えが、完全に消滅してしまうのである。

法華経や、涅槃経などの、妄想は、まだ、漫画のようなものである。

上座部仏教批判から、大乗仏教が、新しい仏教運動として、起こったが、実際、それらも、頭でっかちに陥るのである。

つまり、理屈の、理屈を、はじめる。

竜樹などは、その典型である。
その他、諸々。

チベット密教について、書くが、チベット民族に関してではない。
あくまでも、妄想の、密教について書くのである。

チベット民族は、ある時期から、チベット仏教の、主を、国の主たる存在としたが、それは、それ、である。
現在も、チベット民族の、主である、ダライ・ラマが、インドにて、亡命政府を作っているが、それと、これとは、別問題である。

あくまでも、チベット密教についてである。

チベット密教とは、チベット人仏教者によって、伝承し、受容してきた仏教の一形態であり、その中核は、八世紀から、十二世紀の、インド仏教で成立した、後期密教である。

それは、現在の、中国が侵略して、チベット人が、住む、チベット自治区、四川省の西半分、青海省の南部、インドのラダック地方、スピティ地方の一部、ネパールのヒマラヤ山脈側、ブータンなどに、居住する人々である。

八世紀から、十二世紀は、仏陀亡き後、1700年を経ている。
そして、その年代は、仏教の歴史的最終段階に入る。

この時期、仏教に目覚めた、チベット人たちが、仏教の教えを、求めて、続々と、インド各地へ留学するのである。

そして、この時期は、仏教にとっても、特別な時期である。

かつて、インドの宗教に、君臨していた仏教が、衰退してゆく時期に当たる。
ヒンドゥー教の台頭、また、西方のイスラム教による、侵略により、その勢力は、縮小しつつあった。

その、状況下にあった、仏教が、最後の、切り札のように、極めて、怪しい、後期密教を、確立させたのである。

八世紀、グヒヤサマージャ・タントラ、秘密集会、の登場をもって、後期密教が、はじまった。

最大の特徴は、解脱のための、方法として、性的ヨーガ、性行為を導入したのである。

僧侶の性行為は、一切禁じられていた。
勿論、上座部も、大乗も、僧侶は、禁じられていたのである。

であから、戒律と矛盾する。
インド仏教が、滅亡するまで、それは、多くの仏教者を、悩まし続けた。

結局、インド仏教は、この難問を十分に解決することが出来ず、それを継承した、チベット仏教に、委ねられることになる。

解決するはずもない。
それは、最早、釈迦仏陀の教えから、遠いものである。
結論から言えば、密教は、仏教ではなく、新しい、宗教だと、私は、理解する。

何故、仏教に、取り入れられたかといえば、単に、そこに、仏教があったからであり、ヒンドゥー教なども、タントラを十分に、取り入れている。

更に、インドには、性典と、呼ばれるものは、四つほどある。
そのまま、性の聖典である。

少なくとも、日本仏教とインド仏教との間に広がるギャップの大きさに比べれば、チベット仏教とインド仏教との間のギャップはずっと小さい。
性と呪殺の密教 正木晃

さて、チベット密教は、チベット仏教に内包されている。
密教は、チベット仏教の、構成要素の一つである。

つまり、密教ではない、顕教である。

時間的に言えば、あとになり、密教が起こっている。
インド仏教の、末期において、密教が、登場するのである。

末期は、それらが、併存していたのである。

勿論、顕教は、論理を駆使する、理論研究では、はるかに、蓄積が多い。
だが、理論を現実に、導く霊肉を開発するための、修行など、実践面では、密教の方が、はるかに、進んでいる。

だが、私から見ると、密教の修行の先にある、即身成仏などは、我の即身成仏であり、上座部仏教の、目的と、変わらない。
基本に戻ったが、その方法が、あまりに、魔的である。

チベット仏教に残る、様々な、本尊画を見ると、あまりの、異様さに、驚く。
男女交合を主にした、仏の絵図には、仰天する。

それが、また、経典には、釈迦仏陀が、説いたものであると、書かれるのであるから、呆れるのである。



posted by 天山 at 00:00| 神仏は妄想である。第6弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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