2010年06月18日

神仏は妄想である 277

弘法大師伝説まで、多々ある空海の、その、バックボーンについたのは、誰か、何か。

そこで、司馬遼太郎の、空海の風景、から、引用する。

空海が住むべき寺はこと当時、無数にある。奈良には大寺がある。しかし空海を地方ではなく京に住まわせたいという希望は、他のどの勢力よりも奈良の旧仏教勢力においてもっとも強かったにちがいない。奈良の旧仏教勢力は最澄とその新体系を怖れることはなはだしかった。最澄を制しうるのは空海以外にいないとしたことは、かれらの存亡の危機意識から出ているだけに、空海の住寺をえらぶについても必死だったにちがいなく、むろん、土地は京がいい、宮廷に近ければ近いほどいい、ただ京というのは新興の王都だけに大寺がすくなく、結局は郊外ながら規模の大きさを利点として高雄山寺ということになったのであろう。

更に、空海が、意外にも、東大寺の別当、つまり、長官になったのも、陰に奈良の、仏教の存在がある。

新仏教を持ち帰った、空海が、旧仏教最大の拠点である、東大寺の長官になるとは、尋常ではない。
異常なことであると、司馬遼太郎は、書く。

この人事における、異常さは、そのまま奈良の旧仏教の焦りであり、危機意識であると、分析する。

南都六宗も、教学的に、新仏教の、取り入れを行いたかったはずである。
そこで、空海の、持論が、大いに救いになった。

それは、特に、六宗の中でも、華厳学は、一歩めれば、大日経の世界になるということである。

東大寺の中に、真言院をたて、その本尊である、毘遮遮那仏の宝前で、密教の重要経典である、理趣経を誦むべく規定し、現在に至るまで、東大寺の大仏殿で、毎日、あげられているお経なのである。

このことは、東大寺の華厳学をある意味では不透明にしてしまっていることにもなるが、しかしこの当時における奈良六宗の立場としては、教学を多少変えてでも新仏教による風あたりをやわらげざるを得なかったに相違なく、そういう奈良側の事情が、帰朝早々の空海を、にわかなことながら日本の代表的な高僧に仕立てあげざるをえなかったのである。
司馬遼太郎

更に、奈良仏教が、空海に、期待することは、宮廷である。
宮廷は、帰朝早々の、最澄によって、一時期、独り占めされたのである。これに対し、空海を、送り込むことによって、旧の状態に戻したいという、期待である。

最澄の、新仏教による、奈良側の被害を、少なくしたいという、願いである。

また、奈良仏教の、長老とは、政治的存在でもあった。

玄肪、道鏡などは、政治に介入して、自滅して以来、一般に、自制する気分があり、決して、表立っては、目立つ動きはしないが、裏面に精通し、時に、隠微な工作を行ったといわれる。

実は、空海は、この玄肪と、同流の血をひているのだ。
極端に、権力と、政争が好きなのである。

空海の、母方の血であり、空海の、少年時代に、基礎的な教育を施したのは、まさしく、母方の、叔父である、阿刀大足であった。
その叔父の、反対を押し切って、大学を辞めて、僧になる覚悟を決めたのである。

司馬遼太郎は、その玄肪と、空海の、類似点を上げている。

類のない秀才であったこと、留学生として入唐したこと。また長安のサロンでその学才が評判になったこと、唐の皇帝が召見したことなどである。多少違うのは空海の在唐が二年で、玄肪のそれが十八年であったことだが、在唐が長かっただけに、その学才を発揮する機会が多く、玄宗皇帝のごときはこれを愛するあまり三品の位をあたえ、紫衣をあたえたくらいである。・・・
さらに空海との類似点は、経綸五千余巻というおびただしい仏書を請来したことで、帰朝後のかれの人気はすさまじかった。一躍僧正に任じられたし、また聖武天皇の宮廷の内道場の主宰者にもなった。
司馬遼太郎

空海の、年少の頃から、30までの、時期は、凄惨な権力争いが、続いていた。

筑紫にて、踏みとどまり、和泉にて、山中に入り、京の宮廷と、長々と、避け続けていたという、異様な行動は、そういう配慮もあったのではないかと、司馬は、言う。

更に、そこに、奈良の長老たちが、助言した。

私は、時代性があり、時代精神があると、いった。
まさに、空海は、それに乗ったといえる。

空海一人の力では、後世の空海像は、出来ないのである。

ここでは、深く歴史的背景を、論ずることは、出来ないが、司馬遼太郎の、空海論を、示す。

日本の歴史上の人物として空海の印象の特異さは、このあたりにあるかもしれない。言いかえれば、空海だけが日本の歴史のなかで民族社会的な存在ではなく、人類的な存在だったということがいえるのではないか。
である。

確かに、空海の、学んだ、思想、密教、そして、その大日如来は、王も民もなく、人類を超越した感覚であろう。

何をも恐れぬ、ふてぶてしさは、空海の、学んだ、仏教、密教による。

唐に行き、多くの民族が、この世に存在することなども、見聞して、日本でも、天竺でも、どこでも、通用するものは、思想なのである。いや、空海に言わせれば、仏、更に、大日如来によって、包まれてあるものなのである。

勿論、当時は、それが、最新の教学であり、私のようなものに、妄想であると、断じられる何物もない。

空海の天下となるのである。

歴史を、どう生きるのかとは、歴史を、そして、現在を、突き放してみるのである。
古いも、新しいも、突き通したものを、もって、見る目である。
だが、しかし、悲しいことに、歴史は、進化する。
その、進化からは、何人も、逃れられないのである。



posted by 天山 at 00:00| 神仏は妄想である。第6弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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