運転手が、車を止めた。
数名の人たちがいた。
子供もいた。
私は、バッグを持って、こんにちはーーーと、日本語で、挨拶した。
そして、すぐに、子供たちに、ぬいぐるみを、渡した。
それで、私が、何かを持ってきた人と、解ったようだ。
次に、文具を出して、スクールボーイ、ガールと、言った。
運転手が、通訳している。
そこに、ノートや、ペンを出した。
最初は、皆、控え目である。
ラオスの人は、おとなしく、控え目で、静かである。
次に、衣服を出した。
そして、広げて見せた。
すると、一人の女性が、手を出す。
そして、支援がはじまった。
少し人が集う。
それが、だんだんと、多くなる。
タオルも出した。
受け取る人、衣服を指差す人・・・
混乱なく、静かだ。
男の子も、やってきた。
彼には、バッグを差し出した。
照れながら、受け取る。嬉しそうだ。
運転手に、写真を撮ってもらう。
数枚、撮って、私は、オッケーと言い、次の場所へと、促した。
すぐに、車は、村の中心に出た。
高床式の、建物。しかし、実に、粗末なものである。
その下に、子供が、二人、寝ていた。
そこで、支援をすることにした。
ハーイと、私は、声を掛けた。
少し、驚いている。
見ず知らずの人が、やってきた。
だが、運転手が、なにやら言うと、起きだしてきた。
私は、丁度良い、板の間があったので、そこに、バッグを置いて、中のものを、取り出した。
すると、いつの間にか、人だかりである。
次から、次と、人がやって来た。
そうして、次から次と、衣服を手渡しすることになる。
サイズを見て、それぞれに、手渡す。
そのうちに、手伝う人も、現れる。
バッグの中から、衣服を取り出したり、文具を取り出して、子供たちに、分け与える。
運転手に、写真を撮るように、頼む。
大半は、子供用だが、中に、大人用、特に女性物が、多かった。
男の人も来たが、中々、彼らに合うものがない。
だが、バッグの底から、男物が出てきた。
二人の男が、歓声を上げた。
ズボンである。
丁度良い、サイズだ。
とても、暑いが、それを、忘れた。
すっかりと、バッグの中身が無くなった。
そこで、それぞれ、写真を撮る。
だが、実に静かである。
不思議なほどに、静かなのである。
バイバーイと、声を掛けつつ、私は、車に乗り込んだ。
何事もなかったかのようである。
言葉が通じないのが、難であるが、物によって、何とか、通じた。
車に乗って、私は、浴衣が、汗だくになったことを、知った。
車の冷房が、とても、気持ちよいのである。
ホテルに戻る道は、意外に、時間がかかった。ということは、市内から、結構離れた場所に来たのだと、思った。
運転手と、英語で少し会話したが、何を話したのか、忘れている。
ラオスは、人が少ない。
市内に入るが、あまり、人影がないのである。
首都とは、思えない、ビエンチャンである。
さて、ホテルに到着して、私は、約束通りに、7万チャットを、運転手に出した。すると、20万チャットと、言う。
どうして
遠い所に行ったと、運転手が言う。
私は、ホテルのフロントに、向かった。
しかし、約束した、フロントの男も、ボーイもいない。
一応、フロントの男に、最初の紙を出してみた。
20万チャットと、言うが・・・
運転手が、フロントの男と、話す。
そして、フロントの男が、私に、遠くへ行ったからと、言う。
しかたがない。
私は、20万チャットを払うことにした。
最初に、遠く方へ行くはずだったのだが・・・
解釈できることは、運転手が、困っている人たちということで、孤児の家に行くとした。最初に、地図で示された場所ではなかった。孤児たちの家で、十分だと思ったが、途中で、中止にした。そこで、遠くへ行くことにした。それで、料金を高くした。
更に、日本人であるから、お金は、持っていると、考える。
実際、ビエンチャンには、日本人の年金暮らしの人たち、男たちが、実に多かった。
部屋に戻り、空になったバッグを見て、終わった開放感を得た。
ただ、20万チャットは、少し高いと、思う。
一万円が、80万チャットである。
つまり、20万チャットは、2500円である。
帰りの途中で、運転手が、よくやってくれたので、四日目の帰りの、バス停まで、頼んだ。
9万チャットと、言った。
バス停から、来たときは、タイバーツで、200バーツ、つまり、600円である。
9万チャットは、1250円であるから、高い。倍である。
兎に角、観光客からしか、お金が、取れないのである。
仕方がないことだ。
メーターがない車は、本当に注意して、料金を決めないと、大半が、高い。
それで、私も、いつものように、地元の人が乗る、バイクタクシー、トゥクトゥクにすることにした。勿論、そこでも、交渉しなければ、ならないのであるが。