2010年06月15日

ラオス・ビエンチャンの醒めない眠り

ラオスへの、支援活動は、今回で、三度目である。

一度目は、コータが一人で、バンビエンという町の山間部の村に、出かけた。
二度目は、私が、北部の第二の都といわれる、ルアンパバーンの近郊の村に出掛けた。

そして、今回は、首都ビエンチャンの近郊の村に、出かけた。

タイまで、直行便で、タイ、スワナプーム空港から、国内線で、東北部の、ウドンターニという町に行き、そこから、バスで、陸路で、ラオス入りした。

ビエンチャンまで、バンコクから、直行便があるが、陸路で行くのは、金額的に、半額であるから、それにした。

バンコクに三日滞在して、ラオスに出掛けた。

バンコク、パタヤでの様子は、別に書くことにする。

国内線で、ウドンターニに到着したところから、話を始める。

バス並みの、格安航空である。
空飛ぶバスといわれる、A・Aという、航空会社である。

満席だった。
エアコンが、ガンガンに効いている。
それを知っていたから、私は、日本から出てきた時と同じく、着物を着て、乗った。
正解だったが、その前後が大変だった。

タイは、今が一番暑い時期なのである。

ウドンターニには、一度来ている。
空港は、変わっていない。
ただ、バンコクに戻る時に、空港に入る時の、荷物検査が、省略されていた。

夕方に到着した。
私は、そのまま、バスに乗り、その日のうちに、ラオス、ビエンチャンに入ることにした。

乗り合いバスに乗る。

およそ、50キロほどある、タイ、ラオス友好の橋まで行く。
そこで、タイを出国し、そして、橋を渡り、ラオスに入国する。
その手順は、前回、コータを見送ったので、知っていた。

タイを出国した時、一人の日本人の青年に、声を掛けられた。

23歳の、H君といった。

手順が分からずに、私に尋ねてきたのだ。
私と同じ、乗り合いバスに乗っていた。

本当は、友好の橋のある、ノーンカイという街に、留まるはずだったが、バスが、国境まで来たので、そのまま、ラオスに入国することにしたと、いう。

私は、彼と、ビエンチャンまで、一緒に行動した。

まず、タイ側の橋で、タクシーの運転手に、声を掛けられる。
金額を聞いて、ノーと言った。

20バーツで、橋を渡るバスがある。
二人で、それに乗った。
そして、ラオスに入国する。

ラオスは、三ヶ月滞在なら、日本人は、ビザがいらないのである。

入国する際に、二人で、50バーツを払う。
私は、この、50と、15を、よく聞き違える。

だから、百バーツを出して、そのまま、出た。
お釣りは、H君が、貰ってくれた。

また、バスに乗る。ビエンチャンのバス停行きである。
私は、二つの荷物、支援物資を持っている。
H君が、バスに積み込むのを、手伝ってくれた。

そして、バス停から、街に入るために、タクシーに乗る。

300バーツが、相場だと、知っていたので、200バーツという、男のタクシーに乗ることにした。
それは、すべて、私の判断である。
H君は、私に従う。
H君は、まだ、泊まる場所を決めていなかったが、私の決めたホテルの、近くには、沢山のゲストハウスがある。

私は、一泊、21ドルのホテルに、決めていた。
体調のことを、考えてである。

絶対、熱中症になると、思っていた。

そのタクシーの中で、ようやく、H君と、ゆっくり、話す事が出来た。
私の目的を言うと、そんな話は、はじめて聞いたという。

そこで、もし、よかったら、興味があれば、手伝ってくれないかと、打診した。写真を撮ってもらうだけでも、助かるのである。

そんなのでよければ、手伝いますと、言ってくれた。

彼は、美容師と、理容師の資格を取るために、学んでいるという。
丁度、その合間が出来たので、10日間の旅に出たという。

彼の荷物は、何と、背中の、ぺしゃんこの、バッグ一つである。

メコン川沿いのホテルに、到着した。
そこで、彼と別れる。
それぞれの、電話番号を交換した。
ところが、二人共に、誤解していた。

私は、タイの携帯電話であり、彼は、日本の携帯電話を、海外で使用できるようにしていた。だから、翌日、どうしても、つながないのである。

それに、気づいたのは、私が、ビエンチャンから、ウドンターニに着いた時だった。

だから、彼は、私に同行できなかったのだ。
後で、ホテルの前まで来ていたというが、それなら、フロントに尋ねて欲しかったと、思った。が、日本の若者は、今、そこまで、気づかないのかもしれないと、思った。

午前中まで、ホテルにいると、伝えていたのである。

勘違い、誤解・・・色々ある。

21ドルの部屋は、金額としては高いが、広くて、居心地がいい。
5ドルから、10ドルの、ゲストハウスは、沢山ある。

現地時間では、夜の十時近くになっていた。

食事をしていないのである。
早くしないと、駄目だと、着替えて、すぐに、下に降りた。
すると、ボーイの一人が、ホテルの並びに、ジャパニーズレストランがあると、尋ねていないのに、教えてくれる。

ガイドブックの地図には、載っていない。
だが、ホテルの並びに、暖簾を下げた、日本食レストランがあった。

そんなことは、今までにないことだが、私は、日本食レストランに入った。
ラオスの、チャットも、以前の残りがあり、両替しなくても、大丈夫だったこともある。

だいたい、日本食のレストランは、料金が高い。
矢張り、そうだった。

そして、また、今までにないことだが、日本酒を注文したのである。

一合を二本飲み、てんぷら蕎麦を注文した。
地元の、食べ物の、十倍はする、料金である。
そして、お客は、全員が、日本人である。

不思議な感覚だった。



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