2010年06月08日

神仏は妄想である 267

それでは、空海が好み、更に、それにより、壮大な思想体系を、作り上げた、大日経を、見ることにする。

大日経は、仏教経典成立史上、最後期に、属する。
西暦7世紀の半ば頃である。
西インドにて、成立したと、考えられる。

成立後、間もなく、各地に伝わり、七世紀後半には、中インド、北インドまで、伝播していたという。

だが、作者不明である。

それが、恐ろしい。
更に、七世紀とは、実に、仏教発生、釈迦仏陀から、千年以上を経ている。

その、大日経の作者は、どのような、思い、状況の中で、それを、創作したのか・・・

経典全体を流れる思想的傾向は、インドの、思想の諸要素を綜合的に、捉えている。
インド古来の、伝統的精神、宗教思想、つまり、バラモン、そして、バラモンの儀礼、社会的習慣を取り入れ、二世紀頃から、活発になった、大乗仏教の思想も、取り入れている。

般若経、華厳経などの、経典も、含まれているといえる。

有限な現象界にありながら、無限の絶対界に生きる道があるのか、生きる営みが、生きることそのことが、かぎりなく楽しい遊戯三昧であるような心境にはどうしたら到達できるかを、密教の流れの中にあって思索し、いろいろな瞑想法を試みた。やがて、教理の研究によってばかりではなく、密教禅、秘密ヨーガ法の実修によって、心身の直接体験を通じて、仏教徒の理想、釈迦の悟った法「真理」を得、彼の到達した心境を自分も味わいたいと、インド人独特の強烈な宗教的情熱をもやした。
そしてついに、現象界にありつつ絶対界に生きる叡智を見出す道は、自分にとってこれであるとの確信を得るにいたった。そして、その道を他にも伝達したいと願い、絶大な自信と宗教的権威をもって「大日経」の執筆を始めた。
日本の仏典より

インドの、密教信奉者が、大日経の、作者であったと、想像されるようである。

しかし、その根拠は、皆無である。
それが、冗談であることでも、作者が、不明である。

上記の、文は、肯定的に、あるいは、好意的に、解説しているが、作者が、冗談のつもりで、書いたかもしれないのである。
あるいは、密教を、仏教に入れ込んで、仏教を取り込もうとしたということも、いえる。

推測、憶測で、研究家が、言うが、その根拠は、皆無である。
権威というのは、空海、最澄が、尊んだ経典であるということ、のみ。

更に、それは、漢訳されたものである。

ただ、確実なことは、インド古来の伝統的精神文化と、宗教思想、儀礼、社会的習慣を、取り入れているということである。

作者が、壮大な妄想癖の、持ち主だったという、可能性も、大いにある。

釈迦仏陀以外にも、悟った人は、吐いて捨てるほど、存在した。
何故、釈迦の悟りを、求めたのか。

更に、密教とは、仏教とは、全く関係ないところの、バラモン、あるいは、インドの、伝統である、タントラの思想であろう。

結果は、バラモン、そして、後の、ヒンドゥー教に、釈迦仏陀も、一人の神として、奉られたのである。

自分にとって、これであるという確信を得た、というが、それは、自己申請であり、それを、そのまま、はいそうですか、と、受け入れることは、どうなのだろうか・・・

結局は、信じる、信仰するという、結果に行き着く。

そんなことでは、真理といわれるものなど、見える訳が無い。
更に、真理など、無いものである。

この世は、事実があるのみで、真理と、呼ばれるものが、一つでも、あるだろうか。

それは、信じる以外に無い。
そうして、信じて、騙されている者、多数。

信じて、救われていると、思うのは、勘違いである。
信じて、皆、一つの、あるいは、多数の、誤魔化しに、生きるのであり、更には、迷うのである。

馬鹿も、休み休み言えである。

釈迦仏陀が、悟った法というのが、真理であるとは、一体、誰が、確認できるのだろうか。
誰も出来ない。
ただ、それを、信じるというだけである。

信じていては、救われないのである。

更に、こけおどしのように、奇跡のような、手品を見せられては、興ざめする。

現象界にありながら、絶対界の生きる、叡智とは、何か。
この世が、現象の世界であることは、解るが、絶対界とは、何か。
実在界という人もいる。
つまり、霊界である。

霊界も、相対的な世界であり、絶対という、姿は、在り得ない。

絶対界が、存在するものだと、仮定しての、行為であろう。

また、絶対界というのは、妄想の世界である。
その証拠は、人は死ぬのである。
心が、絶対界に、遊んでも、人は確実に死ぬ。

死ぬことによって、絶対界に行くというのは、ただ、信じることである。
更に、宇宙には、唯一絶対などという、モノは、存在しない。

存在するのは、宇宙という、モノのである。
それを、どのように表現してもいいが、それは、芸術であり、信仰の世界ではない。
信仰の世界とは、解らないと、表明する世界である。



posted by 天山 at 00:00| 神仏は妄想である。第6弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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