2010年06月07日

神仏は妄想である 266

桐山氏は、様々な、知識と教養によって、自身の修行の正当性、または、説得力を力説する。
それは、十分に、評価する。
だが、人は、最初からの、考え方を、それに添うように、説明する。そのために、知識も、得る。妥当である。

さて、もう少し、彼の、考えたことを、見る。

それは、求聞持聡明法にいうところの、明星に対しての意味である。

われわれが、他の天体からの、無数の粒子にさらされていることは、すでによく知られた事実である。それはむしろ地上にあるものよりはるかに多量で、わたくしは、地上にあるものはすべてこの天体からの波動を受けて振動しているのではないかと思っている。
桐山

その主なものは、宇宙線である。
それは、現実に、一分間に一センチ四方あたりおよそ六十五万粒という。それが、体を突き抜けている。
更に、頑強な鉛のバリヤーも、素通りし、1000メートルの海底にまで、達している。

ラジウム、レントゲン等々のほかの放射線とおなじように、宇宙線も二つのはたらきを持っている。一つは突然変異を引き起こすこと、つまり遺伝子に変化を起こすことであり、もう一つは組織を破壊してしまうことである。
ヤコブ・オーグスター

勿論、宇宙線は、生物の組織を破壊するが、生長の促進もする。
ある天体から、放射された、宇宙線の波動は、人間の内分泌を刺激して、気分を昂揚させたり、能力を高める働きをする。

それも、十分に、有り得る。

最も、高い確率で、人間の体に影響を与えるのは、月の働きである。
また、自然の働きにも、大きな影響を与える。
それも、十分に、理解する。

大地の震動、大気の潮汐、宇宙線などにすべて共通していることは、それらが非常に低いエネルギーで作用しており、きわめて微弱な信号を送り出していることである。見えない月の位置、見ることの出来ないイオンの濃度、地平線上の惑星の微弱な磁気の影響などのような刺激に反応する生物の明らかに超自然な能力は、すべて単一の物理的現象―――共鳴の原理に帰すことができる。
W・ワトスン

確かに、それはあるが、微弱である。
微弱でも、それを、使いこなせば、超自然の能力を得られるという、根拠である。

そこで、求聞持法の、明星である。

空海の口に入ったという、明星、つまり、金星である。

チャクラが目覚めてからはじめて、暮れかけた東南の空に向かって座ったわたくしはすぐにわかった。明星が、決して単なる神秘感をいだかせるだけのものではないことを。
桐山

マントラの読誦による脳の覚醒だけでは充分ではないことがわかった。それは、金星からの波動の受信装置、共鳴装置と思えばよかった。それと、行が成就したのちにさらに明確になったことがある。
桐山

明星だけではなく、それに、付随して必ず、現れる、在る星であるという。
それは、秘密だそうだ。
その星のとの、相乗効果が、重要だったという。

いままでだれも気がつかないおもしろい「受信装置」のあることに、わたくしは気がついたのである。
桐山

それが、彼の、宗教立教の元なのだろう。

それが、彼の、妄想なのである。
そのように、思えた。確信した。
つまり、彼の、妄想力ゆえのものである。

そのことを、説得するために、学者の、論文などを、引用する。

しかし、それ以上になると、それは、彼の妄想である。
そして、それを、確信して、彼が、何らかの能力を得たという、思い込みである。

激しい修行の、暁に、彼は、彼自身を、納得させる、あることに気づいたのである。それは、彼自身のものであり、他の誰でもない。

私は、知ったのであるという。
そして、その知ったことは、私から、見れば、妄想なのである。

地球に降り注ぐ、多くの宇宙線の云々より、太陽の、光の、その大量のエネルギーを、差し置いて、微弱な、星星の云々を言う。

古代の人が、太陽を拝したのは、彼らは、太陽エネルギーによって、生きること、すべての、エネルギーと、栄養を得ていることを、知っていた。
それに比べれば、他の星、惑星などは、単なる、微量である。
勿論、微量であることで、否定はしない。

ここで、あえて、太陽の光にある、様々な、エネルギーと、栄養素は、省略する。

太陽に比べて、はるかに、劣る、金星や、その付近の星の、云々は、それほど、重要ではない。

そこから、何がしかの、波動を受信したと、思い込むのも、自由である。しかし、私は、それを、妄想であると、判定する。

それが、仏との、共鳴などというのは、話にならない。
また、仏の意識と、同じ意識云々というのも、単なる妄想である。
仏に意識があるのか・・・

大日経の、大日如来は、太陽のことであろう。

決して、今までの、修行者は、太陽と、共鳴したとは、言わない。言えない。太陽と、共鳴すれば、即座に死ぬ。
死ねば、口なしである。

桐山氏の、努力は、否定しないが、それで、密教の、妄想に入れ込んだと、解釈する以外にない。

その、発見に、敬意を表して、桐山氏の、お話は、終わることにする。




posted by 天山 at 00:00| 神仏は妄想である。第6弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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