2010年06月06日

神仏は妄想である 265

厳寒に氷を割って滝に飛び込むという、肉体にとって最大の危機にそなえ、全身の細胞が全エネルギーを燃やしてたたかっているのだとわかった。凍てつくような寒気の中で飛び散る水しぶきを目にしながら行衣と着がえるとき、わたくしの全細胞は奮い立ち、十数年、若返っていたのである。
桐山

実に、激しい、苦行をしたものである。
そして、得た結果が、音響についてである。

その前に、言う。

私の郷里は、北海道の、日本海岸線の寒村である。
冬の、凍てつく、氷りつく、海に漁に出る、漁師たちを、見て育った。
いつも、このような、寒修行を聞くと、思う。
何故、人の役に立つ、漁をしている人が、何も、修行のことを言わないのかと。

彼らの方が、命懸けで、冬の海に、漁に出掛けている。

宗教の、あるいは、この手の、修行は、実に、傲慢である。
更には、そこから、人を指導するという、傲慢は、計り知れない。

それで、一体、得たものが、仏の、云々とは、呆れるのである。

若返ったという。
漁師たちも、それで、若返っているはずである。

彼は、一定期間であるが、漁師たちは、一生である。
その、違いは、遥かに、大きい。

よって、このような、修行は、道楽の、何物でもないのである。

しかし、彼が言う、音響を見てみる。

声が、脳に及ぼす、震動効果というものを、見出したようである。

百万遍も、同じ言葉を、唱えていれば、脳のどこかも、おかしくなる。
だが、
古代ヨーガでは、すべての形態はその形態固有の特質を持ち、それは環境の振動数の組み合わせの結果であると考える。つまり、振動数が、ものの形態をつくり上げ、そのものの性質を決定するというのである。これは決して無稽なものではない。いや、それどころか、それが正しいと思わざるを得ないよく知られた実験がある。
桐山

その実験の結果は、サイマティックスと呼ばれる、科学の分野を生み出した。
その基本原理は、「環境の圧力は波動のパターンをになわせられており、物質は波動の振動数に依存する形態をとって、これらの圧力に反応する」

更に、進んで、音を、不活性物質の目に見える三次元のパターンに変える「トノスコープ」という、機械が、発明された。

オーという、文字を発音すると、完全な、球体のパターンを作るという。

「Oという音の振動によって生ずる形が、まさにわれわれが文字で象形的に表そうと選んだ形そのものであることは、驚くべきことであるとうべきではないか」
ライアル・ワトスン

そして、桐山氏は、言う。
ところで、円は、ふつう、円満、調和、完全、完成などを意味する。そうして、つねに調和と完全を説く古代ヨーガが、オームという語を「聖語」として用い、その系統をひく真言密教の真言、マントラのほとんどが「オーム」という語ではじまっているのは、それ以上におどろくべきことであるというべきではないか。

確かに、その通りである。

そして、真言の真髄が、解ったというのである。
それも、理解する。

真言密教には、声明というものがあるが、それでは、足りないという。
私も、そう思う。
あれは、単なる、歌であるとの、指摘も、その通りである。

わたくしの真言読誦はちがう。口腔に発した真言の震動を共鳴させながら、からだの内部、すなわち心と胸の深部に響かせてゆくのである。
桐山

真言の、字ではなく、その震動であるという。
その通りである。

ホトケのとなえる真言の震動が、ホトケのへそからわがへそに入って咽喉にいたり、大震動を発して大脳の深部にいたり、大脳の部位を動かす。わが大脳のチャクラを動かした震動はしだいにホトケの大脳にいたり、ホトケの大脳とわが大脳と共鳴する。というように観想しつつ、実際に震動を発生させるのである。
桐山

氏は、発声法から、呼吸法まで、徹底的に、研究したという。
ご苦労なことである。

ホトケの大脳とわが大脳と共鳴するというように、観想する。
ここに、問題がある。
観想する。
思念する。思い込む。信じきる。

チャクラを使い、氏は、それに成功したという。
それは、自己申請であるから、何ともいえないが、確かに、震動による、云々とは、説得力があり、本来の、真言密教の、行者よりは、マシである。

そして、矢張り、異常な体質になるという。

脳の、チャクラの刺激によって、あらゆる、刺激が、今まで以上に強くなり、感じやすくなる。
つまり、過敏性体質になる。

それを、制御しなければ、通常の生活は、送れない。
異常である。

異常は、異常の何物でもない。

そして、氏は、それを、制御する方法を覚えたという。
それは、本当に、よかったと、思う。

異常は、精神疾患となるからである。

平常はこの感受力を微少なものにしておき、必要に際して拡大するのである。このチャクラの目ざめによって、わたくしは、すべてのものがいろいろな振動をはなっていることを、実際に、身を以って体験したのである。存在とはまさしく振動そのものにほかならぬのであった。
桐山

その、異常な感受性を、利用すれば、予知なども、簡単に出来るだろう。
また、我が身に、危険のある、人や物、場所などが、解るだろう。

何故、古代ヨーガにそれが、あるのかといえば、古代人は、それを、有していたからである。人間は、進化によって、それを、必要としなくなったのである。

古代人は、現代の人よりも、当然、ある感覚が、優れていた。
また、優れなければ、この厳しい自然の中を、生き抜けなかった。

それを、今、科学で、解明し、元の感覚を、別なものに転化させて、利用しようとしている。
そして、それが、正しい。

ホトケという、不明な存在を、観想して、そのような能力を得ても、宗教の開祖になるのが、関の山である。

更に、それを持って、人を指導するとなると、人を迷いの道に引き込むのである。

確かに、特殊能力であろうが、それらは、別なものによって、変えられて存在し、それを、利用して、人間の生活がある。

異常事態は、パニック障害などの、発作を起こす人にも、ある。
特殊能力である。
更に、抑うつも、そうである。

そのようなことを、しなくても、五感により、事を感じて、十分なのである。
その、当たり前の、五感の中に、生きる輝きを見出すことである。

妄想の、ホトケと、共鳴する必要は無い。



posted by 天山 at 00:00| 神仏は妄想である。第6弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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