2010年06月03日

神仏は妄想である 263

インド文化の、根底には、タントリズムがあり、それは、インド人の、様々な領域に生かされ、包括されている。
そして、ヒンドゥー社会の基盤ともなる。
更に、それは、仏教、ジャイナ教も、その影響から、逃れることは、できなかったといえる。

仏教の経典に、従来のスートラに、かわって、タントラという名があらわれたのは、七世紀の後半である。

タントリズムと呼ぶ傾向が、仏教の中に、取り入れられたのは、大乗仏教の中にである。

在家仏教の教団の中に、民衆の日常生活の、規範が、知らず知らずのうちに、侵入したともいえる。

仏像の造り方、礼拝の仕方、供養の仕方などが、次第に、仏教経典の中に、現れ始め、バラモン教の、宗教儀礼や、呪法なども、仏教に取り入れられた。

更に、アーリア起源、非アーリア起源の、神々が、仏教の中に取り込まれて、仏教の諸仏、菩薩、明王、諸天として、生まれ変わるのである。
純粋仏陀の、仏法というものから、どんどんと、遠のいたといえる。

釈迦仏陀は、それらの、迷い、迷信から、逃れることを、解いたはずである。

仏教タントラは、四種類がある。
所作タントラ、行タントラ、ヨーガタントラ、無上ヨーガタントラである。

所作タントラは、諸仏を供養したり、礼拝する儀式、及び、それを行うための、必要な、真言とか、讃、印契という、外面的な所作を中心にする。

行タントラは、その上に、内面的な瞑想の作法を加えたもので、特に、日本の、密教、空海が、重要視した、大日経である。

ヨーガタントラは、内面的なヨーガ、瞑想法を中心に、行者と、仏、菩薩との、合一をはかる、行法を解いた、金剛頂経などの、経典にあたる。

無上ヨーガタントラは、ヨーガタントラの行法を、より高度に、体系化する。
人間の呼吸、気管、脈管などの、生理作用を応用して、仏と、人の、一体化をはかる。
これは、方便・父タントラ、般若・母タントラに、分けられる。

方便・父タントラの代表とされる「秘密集会タントラ」は、俗説にいわれるように、禁欲的な秩序が崩壊したさいに生まれた秘密会議の産物という意味ではない。秘密集会という言葉からこういったイメージが抱かれがちであるが、人間の身体的な活動、言語活動、精神活動の三種の働きを「三業」と呼び、それらがもともと仏の三種の働きと同じであるところから「三秘密」ともいわれるわけで、この三秘密がタントラ名の「秘密」の本当の意味なのである。タントラ行者の「身語心」という三秘密を一体化することが「集会」であって、それによって究極の悟りが得られるとされるのである。
ムケルジー

ある、新興宗教の、密教系のS苑では、こともあろうに、この三秘密を、三密と言い、それが、真言密、天台密、そして、S苑密だと、馬鹿なことを言う。
子供騙しも、いい気なもので、教祖一家を奉り、信者に拝ませているという、仰天である。

更に、馬鹿なのは、信者であり、全く、仏教というもの、密教というものを、知らないでいる。
恐ろしいのは、霊能者養成である。
霊能者の、免許を与えるというもの。
つまり、密教的に、怪しさを演出するものである。
死んだ、信者たちが、どこに行っているのかも、知らない、霊能者であるから、終わっている。

父・タントラのヨーガの方法には、多少とも左道的な傾向が含まれているが、基本的には真理が曼荼羅諸尊として展開するプロセスを行者が観想するわけである。その場合曼荼羅の中心となる五仏だけが妃をともなっているけれども、その他に女性的な要素はない。
ムケルジー

般若・母タントラの代表の「ヘーヴァジラ・タントラ」や「サンヴァラ・タントラ」に説かれるヨーガには、ヒンドゥー教的な色彩が濃厚で、曼荼羅の主尊も少なくない。行者の呼吸とか生理を利用して、真理の世界に融合していくプロセスが説かれている。
ムケルジー

インド密教の、最後期の産物としては、「カーラチャクラ・タントラ」という、ヨーガの面でも、父タントラと母タントラの両方の要素を、一元化しようとした形跡が見える。
十一世紀頃に、出来たもので、その頃に、インドに侵入して、仏教を破滅に追いやった、一つの原因となった、イスラムにも、言及している。

さて、日本の密教は、このインドの、タントラを源流とし、中国で、発展した、密教の影響を受けている。
だが、所作、行、ヨーガの、三種のタントラを基盤とした、無上ヨーガ密教の伝統は、全く、受け継いでいない。
それが、インドで、起こったのは、九世紀以後のことで、空海が、中国に渡った時代には、中国仏教にも、伝えられていないのである。

それが、伝えられたところは、チベットである。
チベットは、無上ヨーガタントラを、主流にしている。

インドにおいては、13世紀以後、仏教は、ほとんど滅亡した。

つまり、タントラ仏教の、彫刻、絵画、曼荼羅、音楽、儀礼などは、チベット仏教に残されてあるのみ、である。

空海は、最後の、タントラを知らずに、中国の真言系のタントラのみ、身につけたのである。

そして、それを、自分なりに、思想体系化した。
優れた、頭脳の持ち主であるが、また、壮大な妄想力である。

仏教タントラでは、男性原理は、方便、女性原理は、般若と呼ばれ、両者の合一を、大楽という。

般若は、智慧であり、真理の世界にぞくするもの。それは、永遠に不滅であり、活動する事が無い。
対して、方便は、般若の活動を起こさせる元になる。
般若だけで、方便の活動を伴わなければ、真理も無意味である。
また、般若に基礎を持たない、方便も、危険である。

般若と方便とが、一体化して、はじめて、真理が完全に、顕示することができるという。
それを、大楽と、称し、男女の交合した姿で、シンボリックに示している。

だから、究極を言うと、インドのタントラを、知らないで、日本密教の云々は、無意味である。

空海が、創作した、日本密教であるという、方が、すっきりする。
空海が、重要視した、大日経については、後で、検証する。



posted by 天山 at 00:00| 神仏は妄想である。第6弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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