2010年04月10日

救われないマニラ・救いようのないフィリピン 10

カリラアという、慰霊の聖地といわれる場所に行くが、その前に、ストリートチルドレンのことを、書く。

パグサンハンという、田舎町でも、彼らがいた。
私が知り合った、チルドレンは、最初のレストランに入ったときから、だった。

彼は、私たちが、レストランに入ると、玄関先で、私たちに、手を出して、物乞いした。すると、店員が、彼を追い出す。
そして、何か言い合う。
互いに、顔見知りなのであろう。

それでも、彼は、諦めずに、私たちに、物乞いをした。
その度に、店員が、彼を追い払う。

私と、彼が、話すのは、その後で、矢張り、地元の人たちが、利用する、食堂だった。
そこで、はじめて、私は、彼と、もう一人の、チルドレンに、チキンと、ご飯を買って上げた。

更に、何度か、顔を合わせた。
その時に、話し掛けた。
だが、言葉が通じない。
英語が、話せなかった。
ただ、彼が、五歳であることを、知った。
ようやく、通じたのである。

五歳の彼は、毎日、物乞いをして、暮らしている。
その彼が、地元の人から、お金を貰うところを、見た。

車が来ると、駐車場に入れるのに、誘導するのだ。
そして、それで、何がしかの、小銭を貰うのである。

私は、関心した。
また、別の、子供も、そうして、小銭を得ていた。

彼は、私に、その小銭を見せてくれた。
左手、一杯に、小銭があった。

その彼に、私は、衣服を上げるものがないというのが、残念だった。
彼の着ているものは、すでに、汚れが酷かった。

数は、少ないが、田舎町でも、ストリートチルドレンがいるのである。

何度も、顔を合わせるたびに、彼は、私に笑いかけた。
とても、可愛いのである。
五歳といえば、日本では、幼稚園である。

暖かい国だから、そうして、暮らしてゆける。
だが、彼らに、食べ物などを、上げるのを、地元の人から、構わなくていいと、言われた。

見ていると、小銭で、トウモロコシなどを買って、食べている。
二本で、25ペソ、50円である。
それを、一本買って、同じチルドレンと、半分に分けて、食べているのである。

ちなみに、マニラでは、それが、一本、20ペソ、40円である。
丁度、季節は、トウモロコシが、美味しい時期だった。
私も、毎日、買って食べていた。

果物なども、小分けにして、道端で売るので、それを買って食べる事が、出来る。
そうして、何とか、生活しているのだ。

日本では、決して見られない、光景である。

何度か、彼に、お金を渡そうかと、考えたか・・・
だが、それは、止めた。
それを、はじめると、キリがなくなるのである。

ストリートチルドレンは、中学生くらいまで、いたように思う。
だが、中学生くらいになると、また、別の、お金を得る方法があるのだろう。
物乞いされることは、無かった。

さて、いよいよ、カリラヤという、慰霊の聖地に出掛けることにする。

矢張り、午前中である。
あまり、暑くない時間帯を、選んだ。

最初は、ジプニーで、行こうと思い、教会の前に立った。
すると、物売りのおばさんが、話し掛けてくる。
カリラヤに行くというと、ジプニーが来たら、教えてくれるという。
だが、中々、カリラヤ行きの、ジプニーがやって来ない。
その間に、バイクタクシーから、勧誘される。

彼らは、200ペソで、行くというのだ。往復では、400ペソになる。
私たちは、無視して、ジプニーを待った。
だが、30分しても、来ない。

さて、警官も来て、声を掛けてくれた。
あまり、本数が無いようである。

その時、若いバイクタクシーの、お兄さんが、私に声を掛けた。
200ペソで行くよ。
私は、高いと、言った。
すると、往復で、300ペソでいいと、言う。

300ペソ、600円。
このまま、時間が過ぎると、どんどんと、暑くなる。

よし、決めた。
乗ることにした。

そして、その200ペソが、安いということに、気づくのである。

山道を、延々と上がる。
想像していたより、時間がかかり、風景は、見事だったが、その、震動も、酷かった。

そして、カリラヤの日本庭園に到着した。
アメリカは、慰霊地に、日本庭園を、造ったのだ。
実に、粋な計らいである。

ところが、慰霊碑まで、歩くというと、歩いても、遠いので、バイクタクシーのお兄さんが、そこまで、行くという。

本当に、遠かった。
実に、広い庭園なのである。

そして、日本兵の慰霊碑に、到着した。
驚いた。

立派な、慰霊碑が、日本政府によって、建てられてあった。
更に、その慰霊碑の前の道を、多くの人が、懸命に、拭き掃除をしているではないか。

慰霊碑の前の、敷石をゴシゴシと、洗っている。

これは、アメリカの支援によって、成されているのだと思うと、アメリカに対する気持ちが、変化してくる。
戦争犠牲者の、追悼慰霊に対して、アメリカは、実に、よくしている。
タイの、カンチャナブリを訪れた時も、連合国軍の墓地は、管理者がいて、見事に、整然と、整理され、清掃されていた。

私は、早速、御幣を作り、国旗を、掲げて、慰霊の儀を、執り行った。
日本兵、アメリカ兵、フィリピン兵の犠牲者に、黙祷を捧げた。

そして、日本兵に対しては、いつもと、同じように、祝詞を上げて、清め祓いし、引き上げを願う。

言霊と、音霊による、古神道の形である。
しばらくの、祈りの間も、人々は、清掃を続けていた。

私は、事を終えて、皆さんに、ありがとうございます、と、声を掛けて、惜しみつつ、その場を、離れた。

再度、バイクタクシーに乗り、入り口に向かう。
その、慰霊地を見ただけでも、先の大戦が、いかに、犠牲の多いものだったかが、解るのである。




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