2010年04月06日

救われないマニラ・救いようのないフィリピン 6

最後に残った、支援物資を持って、歩いた。
すると、一人のおじさんが、近づいて来て、こっちに来てくれという。

すると、屋台の物売りの、おばさんの所だった。
要するに、彼女に上げてくれというのだ。

私は、彼女には少し、派手かと思える、衣服を差し上げた。すると、おばさんが、頬を紅潮させて、喜んだ。

ビューティフル
という、私の言葉に、おばさんが、頷く。

そして、もう一つ、バッグを渡した。
それも、とても、喜んだ。

すると、おじさんが、そのバッグをおばさんから、取り上げようとしている。
あーーー喧嘩しないで、と言うと、おじさんが、私に、謝る。

ほとんど、女性物だったので、おじさんに、差し上げる物がないのだ。

そして、また、歩いた。
バッグは、軽い。

道端で、親子三人が、ぼんやりと、座っていた。
男は、仕事が無いらしく、寝ているようだった。

母親に、衣服を見せて、必要ですかと、尋ねた。
すると、頷く。
まず、子供用の、夜具になる、衣類を差し上げた。
そして、母親にも、寒い夜のためにと、ある物を、上げる。

旦那が、目を開けたので、矢張り、夜のための、衣服を上げた。
その時である。一人の男が、自分も、奥さんがいるから、衣類が、欲しいというので、最後の衣類を取り出して見せると、三枚選んで、取った。

すべての、衣類が、無くなったのである。
だが、それからが、問題。

その男が、私たちに、どこへ行くのかと、聞くので、ホテルというと、衣服を貰ったので、ただで、ホテルまで、送るという。

私は、少し躊躇したが、頷いて、男の後ろについていった。
馬車だった。
コータが、危ないよ、お金、取られると、言う。
しかし、男の誘いに乗った。

私が、馬車の椅子に乗り、コータが、乗った。
すると、別の男もやってきて、同乗する。

男が、馬車を走らせた。
ホテルは、格安ホテルであるから、あまり、場所が解らないようだったが、私が、通りの名を言うと、走り出した。

だが、途中で、何となく、怪しく思い、ある大型スーパーの場所に、変更した。
ホテルの場所を知られたくないと、思ったのだ。

すると、スーパーの、二丁手前で、馬車が止まった。
私は、100ペソのお礼を出そうとした。
そして、それを、男に、渡そうとすると、男が、受け取らないのである。

コータが、いらないって言うんだから、いいよ、と言う。
そこで、コータが、降りて、私が降りる時である。

男が、2000ペソと言う。
えっ
馬に、2000ペソ必要だ、と言う。

愕然とした。
矢張り、ボッている、というより、嘘だったのだ。
カモにしたのだ。

私は、疲れもあり、怒りより、悲しくなった。
一緒に乗っていたのは、厳つい男で、用心棒のようだった。
その男が、降りて来て、私に、何か言う。

私は、歩きつつ、その男の話を聞いていたが、全く、内容は、聞いていない。
怒りが、湧いてきて、さて、どうしようかと、思った。

男が、スーパーの前に、馬車を止めないという、理由も解った。
騒ぎになって、警官が来るのが、怖いのだ。

私は、手に握っていた、100ペソを、厳つい男に渡して、先を歩いた。
無言である。

暴力行為に及ぶことも、十分にある。
しかし、私は、何度も、ヘイ、ヘイと、呼ぶ声を無視して、歩いた。

彼らは、それ以上、追いかけて来なかった。
というより、少しは、良心が、咎めたのだろう。

しかし、これが、フィリピン、マニラの人の程度である。
これで、よく解るのだ。
恩を仇で返す。

ただでいいと、言い、乗せて、望外な金額を、要求する。
馬車の相場は、100ペソから、500ペソである。
半日の観光でも、2000ペソは、高い。

マニラの、人々の、経済状況は、惨憺たるものである。
皆々、貧しい。

仕事も少ない。
朝、仕事を求めて、日雇いの仕事を斡旋する、事務所の前に、多くの人が、並ぶ。それを、知っているが、結果は、このような程度のことにしか、頭が、回らないのである。

彼らは、善意を行う者ならば、金も払うと、踏んだのだ。
それが、浅はかである。

女たちは、体を売る。
男たちは、仕事を探す苦労がある。

行き止まりの、日々を過ごしているのである。
そして、それが、政治に、生かされない。要するに、政治に、何も期待できない。

絶望の日々なのである。

前回、親しく声を掛けてきた、男も、私が、街中で、衣服を配っている姿を見て、私をコンビニに誘い、子供の粉ミルクを買わせた。
その時、私は、あはれに思い、買った。

しかし、二度と、しないと、決めた。

マニラで、それをすると、際限が無くなる。
そして、それは、彼らのために、ならないのである。

貧しい国の人々は、有る者から、貰って当たり前だと、考える。しかし、マニラは、それが、無制限になるのだ。

実に、頭の程度が、知れるのである。

フィリピンの優秀な人材が、国外に出るという、理由が、解るというもの。

国の、国民に対する政策は、有って無いようなもの。
国家の体を成していないのである。

唯一、フィリピンでも、ミンダナオ島の、ダバオという、フィリピン第二の都市といわれる、街は、日本人の精神が生かされて、秩序と、礼儀作法がなっている。

昔、ダバオには、一万人以上の、日本人が移住して、マニラ麻の生産に従事していた。
日本人町は、アジアで最大規模だった。その子孫たちが、ダバオの町を、成長させたのである。

フィリピンは、日本を手本にして、先に進まないと、先は、無い。
すでに、先の無い、未来の見えない暗闇を、行くあてもなく、歩いているのである。



×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。