2010年04月05日

救われないマニラ・救いようのないフィリピン 5

散歩から、戻ったコータが、ビーチ沿いを見てきたという。

多くの人たちが、暮らしているとのこと。
私は、即座に、そこに支援物資をもって、行く事を決めた。

正解だった。
スラムの大火事で、焼け出された人たち、家族が、大勢、そこにいた。

夕暮れ、一番大きなバッグを、持って、二人で、ビーチ沿いに出掛けた。
まず、子供たちである。
子供たちに、衣服を上げていると、大人たちも、どんどんと、集まってくる。

一つ一つ、衣服を取りだすと、歓声が上がる。
次から次と、手渡してゆく。

コータが、写真を撮る。
その、デジタルカメラが、後で、盗まれるのである。
本当に、残念である。

私の、もっていった、バカチョンカメラの一部だけが、証拠としてあるのみ。

さて、随分と、端まで、歩いて、手渡した。
再度、その道を戻る。

とても、疲れた。
浴衣が、汗で、濡れる。

私たちは、そのまま、夕食をとることにした。
丁度、帰り道に、日本食の店がある。
そこに、入ることにした。

先ほどまでは、食欲を感じなかったのである。
矢張り、結局、私は、日本酒を飲むだけだった。

注文した、食べ物は、すべて、コータが食べた。

海外に出ると、酒は、欲しないが、その夜は、何となく、飲みたくなった。

二合を飲んで、酔った。
そのまま、ホテルに戻り、シャワーを浴びて、ベッドに横になる。
心臓が、バクバクする。
矢張り、海外で、酒を飲むと、体に負担になるのだ。

一度、目覚めたときは、朝の二時頃であるが、そのまま、朝六時まで、寝た。

七時前に、朝の散歩に出掛けた。
そして、また、同じように、教会の前の、公園で、コーヒーを飲む。

昨夜、支援物資を手渡しした、ビーチ沿いに出てみた。

昨夜のことを、覚えている人たちから、挨拶される。
と、共に、食べ物の無い子供たちを、見つける。

私は、元に戻り、手作りのハンバーガーを売る、おばさんの行商から、ハンバーガーを全部買った。六つあった。

それを、持って、ビーチ沿いの、子供たちに、渡す。

私を、追いかけて来た子供もいる。
親に、教えられて、来たのである。

それでも、足りなくなった。
また、大人たちも、手を出すので、矢張り、行商で、パンを売り歩く、青年から、一袋、買って、それを、一つ一つ、差し上げた。

フィリピンの、菓子パンは、腹持ちがする。
五個あまり、私は、そのまま、それを持って、ホテルに戻ることにした。

ホテルに着いて、玄関を入ろうとすると、一人の男の子が、私に手を差し出した。
食べ物が欲しいという、サインである。

先ほどの、パンを一つ渡した。
すると、その子の親が、やってきた。
ゴミを集めて、生活する、家族である。

それぞれ、私は、父親と、母親にも、渡した。
すべてを、渡せばよかったと、思ったのは、部屋に入ってからである。

兎に角、今日は、残りの支援物資を、すべて、渡してしまう、計画である。

明日、追悼慰霊のために、パグサンハンという、街に出掛けるのである。
出来るだけ、荷物は、減らした方がいいのだ。

出掛けるのは、昼前にした。
昼を過ぎると、暑くなるからである。

次の場所は、最初に、マニラに来て、偶然、見つけた、スラムで、子供たちに、衣服を渡した場所に、出掛けたかった。

コータと、二人で、最後の支援物資を持って、ホテル前から、ジプニーに乗った。
昼間の、ジプニーは、安全で、安い。
7ペソ、14円で、乗る事が出来る。

ところが、ジプニーの行き先が、解らないので、別の道に入るときに、降りなければならない。

目指す方向へ、走らないので、途中で、降りた。
そして、目指す場所に向かう、ジプニーに乗ろうとした時、道端の、物乞いの親子に、気づいた。

乗るのを止めて、その親子に、衣類を渡すことにした。
すると、子供たち、また、路上生活の、女が、やって来た。

皆に、それぞれ、手渡す。
そして、一人の女の子に、友達は、いるかと、尋ねた。

すると、いるいると、言う。
じゃあ、そっちへ、行こうと、私は、案内してもらうことにした。
私は、日本語である。
子供には、伝わるらしい。

女の子は、母親の元に、私を連れた。
そこには、路上生活をしている、グループが、大勢いた。

それも、ビーチに近い道である。

どんどんと、人が集う。
その、騒ぎに、警察官、四名が、監視に来た。

残りの、衣類は、子供用と、女性用が多く、男たちには、渡せなかった。

一人の、警官に、声を掛けられた。
何をしているのか、と、聞こえた。

アイアム、ジャパニーズボランティア、プロフェッサーと、言う。
変な英語である。

私は、日本人のボランティアの代表である、と、言ったつもりだったが、コータが、中に入り、通訳した。
警官は、オッケー、オッケー、サンキューと、言って、頷いた。

更に、周囲の、警備員たちも、やってきて、私たちに、サンキューを、繰り返した。
更に、日本語が出来る、若い女性も、来て、日本語で、ありがとう、また助けてくださいね、と、言う。

少し歩くと、一人の少女に、呼び止められた。
こっちにも、来てくださいと、言われたように思い、向こう側に渡った。

すると、幼児が、四人と、少女と、母親がいる。
子供用は、最後に残るもので、丁度無くなった。
少女にも、三枚の衣服を上げた。
そして、母親にも。とても、喜んだ。

まだ、少し、女用の、大人物が、残っている。そこで、次の、場所に向かった。



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